◎すべてが見知らぬ
金剛経の応無所住 而生其心(おうむしょじゅう にしょうごしん)は、沢庵禅師の不動智神明録では、心を止める所なくその心を生ずべしと読む。
しようと思う心が生ずれば、そのする事に心が止まるものだが、その時に止まることなく心(悟り)を生ずべし。
心はあれこれ思い乱れる心の意味があるが、六祖慧能あたりでは、心を悟りの意味でがんがん使っているので、あとの方の心は悟りとして読むと具合が良いように思う。
一心不乱に集中した後に訪れるクラック、裂け目に気が付きなさいというような読み方だろうか。
心が心に間髪を入れずに切り替わるみたいな読み方だと何も起きない。
応無所住とは、すべてが見知らぬ心境でもあるのではないか。
金剛経の応無所住 而生其心(おうむしょじゅう にしょうごしん)は、沢庵禅師の不動智神明録では、心を止める所なくその心を生ずべしと読む。
しようと思う心が生ずれば、そのする事に心が止まるものだが、その時に止まることなく心(悟り)を生ずべし。
心はあれこれ思い乱れる心の意味があるが、六祖慧能あたりでは、心を悟りの意味でがんがん使っているので、あとの方の心は悟りとして読むと具合が良いように思う。
一心不乱に集中した後に訪れるクラック、裂け目に気が付きなさいというような読み方だろうか。
心が心に間髪を入れずに切り替わるみたいな読み方だと何も起きない。
応無所住とは、すべてが見知らぬ心境でもあるのではないか。