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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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万物は行き、万物は帰って来る

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◎存在の輸は、永遠に回る

ニーチェのツァラトゥストラにおいて、ツァラトゥストラは、7日間寝床で横になったまま食べることも飲むことも欲しなかった。その周囲に動物たちが集まってきている。

期せずして、次の叙述は、第六身体たる本尊、アートマン、本来の自己の属性をすらすらと表現する内容となっている。

『わたしにとって、どうしてわたしと切り離された外部の世界などあり得よう?外部の世界は存在しない!だがわれわれは、言葉の響きを聞くたびに、ついそれを忘れる。忘れるとは、何と愛すべきことだろう!

どの事物にも名前が贈られ、響きが授けられているのは、人間がそれによって事物を楽しみ、気晴らしをするためではないか?語ること、それは美しい痴れごとだ。語りつつ、人間は万物の上を舞って
行く。

およそ語ること、そして響きが醸し出すすべての嘘は、何と愛すべきものだろう!音調を響かせながら、われわれの愛は、七色の虹を渡って舞って行く。」――――

――― 「おお、ツァラトゥストラよ」と、動物たちは答えて言った。「われわれのように考える者にとっては、万物は、進んで輪舞を舞ってくれる。万物は寄って来て、手を差し伸べ、笑い、逃げ去り――そしてまた帰って来る。

万物は行き、万物は帰って来る。存在の輸は、永遠に回る。万物は死に、万物はふたたび花咲く。存在の年は、永遠に巡って駆ける。

万物は潰え、また新しく接ぎ合わされる。存在の同じ家は、永遠に建立される。万物は別れ、万物は再会する。存在の指環は、永遠におのれ自身に忠実だ。

すべての剥那に、存在は始まる。すべての《ここ》の周りを巡って、《あそこ》の球は回転する。到るところが中心だ。永遠の道は曲線なのだ。」―――

「おお、お前たち道化師よ、手回し風琴よ!」とツァラトゥストラは答えて、またほほえんだ。
「何とお前たちは、よく知っていることだろう。この七日のあいだに成就されなければならなかったことを。――』
(ニーチェ全集 第1巻 ツァラトゥストラはこう語った  ニーチェ/白水社P322-323から引用)

第六身体の属性とは、世界は一つであり、自分と外部が切り離されたものはないこと。そして外部の世界などない。

万物は往還し、永劫に回転を止めることはない。万物は滅び再生され、万物は出会い別れる。

ここは、サヴィカルパ・サマーディ(有分別三昧)の表現であって、第七身体であるニルヴィカルパ・サマーディ(無分別三昧)ではない。

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