◎小悪から戦争まで
正法眼蔵随聞記から。道元の善悪観と因果応報観がまとめて出ている。
それでもって犬に仏性ありやなしやで因果を昧(くら)ますことはできない。
『夜話で道元が言った。
世間の人は善事をなす時は、他人に知られようと思い、悪いことをする時は、人に知られまいと思うので、この心は仏の心にかなっていないので、なしたところの善事に報酬はなく、人に隠れてするところの悪事には罰があるものだ。
こうした人は、自分の経験を振り返って思うには、「善事をやっても見返りはない。仏法に現世利益はない。」などと思うのである。
こうした考え方は間違った考え方である。特に改めるべきものである。』
善事悪事、善行悪行の根底に流れているのは、洋の東西を問わず、善因善果、悪因悪果で一定している。
ところがこれが、現代にあっては非科学的という理由で退けられている。
逆に「善いことなどせず、隠れて悪いことをしまくっても」引き寄せの法則のとおり行動すれば、金もメリットも自分のところに舞い込むという、奇怪な『引き寄せの法則』が横行するような時代になっている。
出口王仁三郎は、地獄の住人は、自分で働かないで他人のものを取ってきてそれで食べようとする者ばかり、などと評しているが、こうした『引き寄せの法則』の輩は、地獄の住人達であり、こんなことで、現代は地獄が現出したと言われるゆえんである。
本来正しいとされる生き様にそれを証明する手段などないが、そのことをケレン味なく言い切るには、体験とは言えない体験あってのことだが、彼らの言う言葉が地獄的ライフ・スタイルのしみ込んだ人に通用するかは別の問題。
戦争は地獄そのもの。平時がこれほどまでに地獄的でなければ戦争も起こらなかっただろうにと思う。
正法眼蔵随聞記から。道元の善悪観と因果応報観がまとめて出ている。
それでもって犬に仏性ありやなしやで因果を昧(くら)ますことはできない。
『夜話で道元が言った。
世間の人は善事をなす時は、他人に知られようと思い、悪いことをする時は、人に知られまいと思うので、この心は仏の心にかなっていないので、なしたところの善事に報酬はなく、人に隠れてするところの悪事には罰があるものだ。
こうした人は、自分の経験を振り返って思うには、「善事をやっても見返りはない。仏法に現世利益はない。」などと思うのである。
こうした考え方は間違った考え方である。特に改めるべきものである。』
善事悪事、善行悪行の根底に流れているのは、洋の東西を問わず、善因善果、悪因悪果で一定している。
ところがこれが、現代にあっては非科学的という理由で退けられている。
逆に「善いことなどせず、隠れて悪いことをしまくっても」引き寄せの法則のとおり行動すれば、金もメリットも自分のところに舞い込むという、奇怪な『引き寄せの法則』が横行するような時代になっている。
出口王仁三郎は、地獄の住人は、自分で働かないで他人のものを取ってきてそれで食べようとする者ばかり、などと評しているが、こうした『引き寄せの法則』の輩は、地獄の住人達であり、こんなことで、現代は地獄が現出したと言われるゆえんである。
本来正しいとされる生き様にそれを証明する手段などないが、そのことをケレン味なく言い切るには、体験とは言えない体験あってのことだが、彼らの言う言葉が地獄的ライフ・スタイルのしみ込んだ人に通用するかは別の問題。
戦争は地獄そのもの。平時がこれほどまでに地獄的でなければ戦争も起こらなかっただろうにと思う。