◎謎また謎のクンダリーニ・ヨーガの秘奥
本の中には、何十年を経て取りつけるものがある。読み進めても何のことか想像も働かないのであれば、散漫に字を追うしかない。
続ヨーガ根本経典もそうした本の一つだった。ラージャ・ヨーガの全容が、ハタ・ヨーガの肉体調整に始まって、クンダリーニ・ヨーガに進み、最後は、ニルヴァーナに進むという全容のイメージがあれば、読み進められようというもの。
この本を購入したのは、1970年代の終わり頃だと思うが、書いていることの見当がつき始めたのは最近のこと。それ以前はせいぜい自分のわかるテクニカル・タームからの連想で読み進めるしかなかった。それでも連続して読めるのは3ページ程度せいぜいだった。
結局、七つの身体論がOSHOバグワンなどある程度詳述されるものが出て来なければ、まともに読み進められる人はほとんどいなかったのではないかと思う。
ダンテス・ダイジのニルヴァーナのプロセスとテクニックは、それを実地体験して全体の概要の概要を呈示してくれたものである。ところが『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』だけで、何のことかわかるというような人は相当に機根の優れた人で修行も相当にできていた人なのだろうと思う。
現代人は、知性人であって、知性で納得しなければ行動を起こしにくいものであるから、クンダリーニ・ヨーガも知性で理解できる全体像が呈示されなければならない。ところが、ゲーランダー・サンヒターや、シヴァ・サンヒターですらメディテーションの部分はぼかされている。
一歩誤れば、廃人や自殺の道もあるからである。
シヴァ・サンヒターのラージャ・ヨーガから、ヨーニ・ムドラーを説明している部分。
『(五)ラージァ・ヨーガ
五・三九-四〇
親指で両方の耳孔を閉じ、人差し指で両眼を、両鼻孔を中指で、残りの四本の指で口をしっかりと閉じて(三九)、空気の出入をきびしく止めるならば、光体として現われた真我が見える(四〇)
五・四一
この光明をたとえ刹那たりとも見た人は、あらゆる罪から解放され、至高な境地に達する。
五・四二
ヨーギーにして、上記の行法を不断に修習した結果その罪汚れを離れたならば、肉体等のすべてを忘れて、かの真我と一体になる。』
(続 ヨーガ根本経典/佐保田鶴治/平河出版社/P246から引用)
真我は、第六身体アートマンにして、本来の自己、「有」の側。
ヨーニ・ムドラーで呼吸停止し、第六身体アートマンを一瞥しさえすればあらゆる罪から解放され、至高な境地に達するとキャッチーな言葉を出している。
そしてその境地が進めば一瞥ではなく、神人一如、真我との合体が起こるとする。
古神道の目無堅間の船とは、ヨーニ・ムドラー状態の人かと想像する。
本の中には、何十年を経て取りつけるものがある。読み進めても何のことか想像も働かないのであれば、散漫に字を追うしかない。
続ヨーガ根本経典もそうした本の一つだった。ラージャ・ヨーガの全容が、ハタ・ヨーガの肉体調整に始まって、クンダリーニ・ヨーガに進み、最後は、ニルヴァーナに進むという全容のイメージがあれば、読み進められようというもの。
この本を購入したのは、1970年代の終わり頃だと思うが、書いていることの見当がつき始めたのは最近のこと。それ以前はせいぜい自分のわかるテクニカル・タームからの連想で読み進めるしかなかった。それでも連続して読めるのは3ページ程度せいぜいだった。
結局、七つの身体論がOSHOバグワンなどある程度詳述されるものが出て来なければ、まともに読み進められる人はほとんどいなかったのではないかと思う。
ダンテス・ダイジのニルヴァーナのプロセスとテクニックは、それを実地体験して全体の概要の概要を呈示してくれたものである。ところが『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』だけで、何のことかわかるというような人は相当に機根の優れた人で修行も相当にできていた人なのだろうと思う。
現代人は、知性人であって、知性で納得しなければ行動を起こしにくいものであるから、クンダリーニ・ヨーガも知性で理解できる全体像が呈示されなければならない。ところが、ゲーランダー・サンヒターや、シヴァ・サンヒターですらメディテーションの部分はぼかされている。
一歩誤れば、廃人や自殺の道もあるからである。
シヴァ・サンヒターのラージャ・ヨーガから、ヨーニ・ムドラーを説明している部分。
『(五)ラージァ・ヨーガ
五・三九-四〇
親指で両方の耳孔を閉じ、人差し指で両眼を、両鼻孔を中指で、残りの四本の指で口をしっかりと閉じて(三九)、空気の出入をきびしく止めるならば、光体として現われた真我が見える(四〇)
五・四一
この光明をたとえ刹那たりとも見た人は、あらゆる罪から解放され、至高な境地に達する。
五・四二
ヨーギーにして、上記の行法を不断に修習した結果その罪汚れを離れたならば、肉体等のすべてを忘れて、かの真我と一体になる。』
(続 ヨーガ根本経典/佐保田鶴治/平河出版社/P246から引用)
真我は、第六身体アートマンにして、本来の自己、「有」の側。
ヨーニ・ムドラーで呼吸停止し、第六身体アートマンを一瞥しさえすればあらゆる罪から解放され、至高な境地に達するとキャッチーな言葉を出している。
そしてその境地が進めば一瞥ではなく、神人一如、真我との合体が起こるとする。
古神道の目無堅間の船とは、ヨーニ・ムドラー状態の人かと想像する。