◎文字どおり生死を超える
ババジの弟子のスワミ・ラーマが、大悟覚醒者の体を脱ぎ捨てる特別な方法について幾つかのパターンを挙げている。
1.サマディにいる間に凍死すること。これはヒマラヤのヨーガ行者の特別なグループにとっては伝統的な死に方である由。
2.ヒマラヤの深い川で、呼吸を保ち体を捨てる。ジャラ・サマディ。
3.ヨーガの正座で座っている間に、意識的にブラフマンドラを開ける。スタル・サマディ。
4. 太陽神経叢を瞑想することにより、体内の内なる炎が一瞬の閃きで体を焼き尽くし、すべては灰に帰す。
(以上出典:聖なる旅 -目的をもって生き恩寵を受けて逝く/スワミ・ラーマP182)
3番目は、何も説明がないのでわかりにくいが、ブラフマランドラを開けると呼吸停止、心拍停止が起きるということなのだろうと思う。
彼は、これらは自殺と異なり、痛みはなく恐怖と絶望を伴わないと説明しているが、人間の命の尊さを教育されている常識人にとって、とっつきにくい。また、この点だけ捕らえてカルト呼ばわりされかねない部分ではある。
だが、人間という生命の真実を極めるには、このように生死をも超えなければならないし、文字どおりそうなのだと思う。
そこには、感情的な抵抗、反発は起こるものだと、まず思うのであるが。
そこで好き嫌いがなければ云々という禅の三祖僧璨の信心銘冒頭の言葉が思い起される。
ババジの弟子のスワミ・ラーマが、大悟覚醒者の体を脱ぎ捨てる特別な方法について幾つかのパターンを挙げている。
1.サマディにいる間に凍死すること。これはヒマラヤのヨーガ行者の特別なグループにとっては伝統的な死に方である由。
2.ヒマラヤの深い川で、呼吸を保ち体を捨てる。ジャラ・サマディ。
3.ヨーガの正座で座っている間に、意識的にブラフマンドラを開ける。スタル・サマディ。
4. 太陽神経叢を瞑想することにより、体内の内なる炎が一瞬の閃きで体を焼き尽くし、すべては灰に帰す。
(以上出典:聖なる旅 -目的をもって生き恩寵を受けて逝く/スワミ・ラーマP182)
3番目は、何も説明がないのでわかりにくいが、ブラフマランドラを開けると呼吸停止、心拍停止が起きるということなのだろうと思う。
彼は、これらは自殺と異なり、痛みはなく恐怖と絶望を伴わないと説明しているが、人間の命の尊さを教育されている常識人にとって、とっつきにくい。また、この点だけ捕らえてカルト呼ばわりされかねない部分ではある。
だが、人間という生命の真実を極めるには、このように生死をも超えなければならないし、文字どおりそうなのだと思う。
そこには、感情的な抵抗、反発は起こるものだと、まず思うのであるが。
そこで好き嫌いがなければ云々という禅の三祖僧璨の信心銘冒頭の言葉が思い起される。