◎神の許し給わぬことをしようとする人々
科学の発展過程では、神の許し給わぬことは「発見」されないという法則がある。
代表的なのは、地動説であり、相対性理論、クンダリーニ上昇の秘儀。例のダンテス・ダイジの『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』巻頭にクリシュナムルティが成功すれば、この本を世に出す必要はなかったとある。これは、クンダリーニ上昇の秘儀がここに至って公開することが神の許し給うことになったということ。
クンダリーニ上昇の秘儀は、他の書では仄めかしは多いが、挿絵入りでそれとわかるように書いてあるのは道教の慧命経くらいのものだった。
科学の発展と言えば、コンピューターだが、コンピューターは、チェス、将棋、囲碁でプロ棋士に勝利する実力となり、人間同士の対決をややつまらないものにした側面がある。
現実は、もっとのっぴきならない状況に至って久しい。相対性理論は原爆を作る技術に発展し、今や米中露等の核爆弾の合計は人類を何十回も全滅できるほどになっている。
人間精神は、知情意で成るが、情意については、薬物で感情起伏のコントロールをする技術が発展し、人間を自殺させず社会復帰させる方向での使用の研究が進んだ。また情報操作やマインドコントロールの技術は人間の感情も意思も行動も巧妙に操れるほどに発達し、TV、新聞、ネット、スマホを持った瞬間に正確な現状認識や自分の状態の評価、そして未来の展望までもできにくくなるのが、普通の現代人の姿となっている。
そういう環境の中で、何が神の領域を侵す科学であるかと言えば、
1.便利と経済性を優先して求める功利的精神と経済(心理学、社会学、経済学)
個人の巨富は、古来から批判されるものだが、最近は大手を振ってそれを賞賛する者が多い。結果的にその態度は膨大な貧困者を容認している。
2.他国を押さえつけるために用いられる潜水艦発射の大陸間弾道弾(軍事)
国連が第二次世界大戦の勝者の論理で構成、運営されている関係で、リーダー国は強力な軍事力なくして加盟国のイニシアティブをとれないというのも現実。だが、気象兵器や広大な地域に火の雨を降らす兵器の開発も噂になっており、神知らぬ者の手による軍事技術は常に人類滅亡の方向に向かう。70億の人口を大幅に減少させて、自分だけは生き残って少ない人口にしてしまおうという人類大量虐殺を目論む勢力もあるかもしれない。だが、一旦核戦争が始まればとことん行くところまで行かないと終結しないことが予想され、そう目算どおり進むとも思えない。ここの分野こそ神の許したまわぬ分野。
また限られた富を多数の人口で平等に分配すれば、おそらくほとんどの人は貧しくなるのだが、その決断を迫られる経済危機、食料危機の時代が世界的にあるのではないか。ここを考えると、神と科学の戦いとは、神と神知らぬ人間の戦いであると思う。
3.無神論と無神論を前提としたライフスタイル
思想・信教の自由では、無神論も容認する。だが共産主義国など無神論国家では、思想・信教の自由を認めない。悪貨が良貨を駆逐する如く、旺盛な共産主義的洗脳、宣伝の下では、神知らぬ白でも黒でもない大衆は次第に無神論的考え方になっていく。神を物理的に証明できないことについては、科学の物証主義、文献主義という方法論も足を引っ張っている。
科学はいつから無神論でもよいことになったのだろうか。
4.他人が見ていないところでは悪事を行ってもよいとする発想
今の人には、悪事を行えば、天知る、地知るなどという感覚が薄いのだろうか。神仏を知らぬことは恥ずかしくも畏れ多いこと。神知る人の科学的姿勢と神知らぬ人の科学的姿勢は自ずと異なる。神知る人は神の許し給わぬことをわかっている。だが神知らぬ人はどうか。その辺が神と科学との最終決戦の原因になっていくのではないか。
かくしてこれからは、物証主義、文献主義を超えて、正しい師匠について冥想修行を行い、自ら神仏を確認する道しかあるまい。そしてそれが大衆化していく。
科学の発展過程では、神の許し給わぬことは「発見」されないという法則がある。
代表的なのは、地動説であり、相対性理論、クンダリーニ上昇の秘儀。例のダンテス・ダイジの『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』巻頭にクリシュナムルティが成功すれば、この本を世に出す必要はなかったとある。これは、クンダリーニ上昇の秘儀がここに至って公開することが神の許し給うことになったということ。
クンダリーニ上昇の秘儀は、他の書では仄めかしは多いが、挿絵入りでそれとわかるように書いてあるのは道教の慧命経くらいのものだった。
科学の発展と言えば、コンピューターだが、コンピューターは、チェス、将棋、囲碁でプロ棋士に勝利する実力となり、人間同士の対決をややつまらないものにした側面がある。
現実は、もっとのっぴきならない状況に至って久しい。相対性理論は原爆を作る技術に発展し、今や米中露等の核爆弾の合計は人類を何十回も全滅できるほどになっている。
人間精神は、知情意で成るが、情意については、薬物で感情起伏のコントロールをする技術が発展し、人間を自殺させず社会復帰させる方向での使用の研究が進んだ。また情報操作やマインドコントロールの技術は人間の感情も意思も行動も巧妙に操れるほどに発達し、TV、新聞、ネット、スマホを持った瞬間に正確な現状認識や自分の状態の評価、そして未来の展望までもできにくくなるのが、普通の現代人の姿となっている。
そういう環境の中で、何が神の領域を侵す科学であるかと言えば、
1.便利と経済性を優先して求める功利的精神と経済(心理学、社会学、経済学)
個人の巨富は、古来から批判されるものだが、最近は大手を振ってそれを賞賛する者が多い。結果的にその態度は膨大な貧困者を容認している。
2.他国を押さえつけるために用いられる潜水艦発射の大陸間弾道弾(軍事)
国連が第二次世界大戦の勝者の論理で構成、運営されている関係で、リーダー国は強力な軍事力なくして加盟国のイニシアティブをとれないというのも現実。だが、気象兵器や広大な地域に火の雨を降らす兵器の開発も噂になっており、神知らぬ者の手による軍事技術は常に人類滅亡の方向に向かう。70億の人口を大幅に減少させて、自分だけは生き残って少ない人口にしてしまおうという人類大量虐殺を目論む勢力もあるかもしれない。だが、一旦核戦争が始まればとことん行くところまで行かないと終結しないことが予想され、そう目算どおり進むとも思えない。ここの分野こそ神の許したまわぬ分野。
また限られた富を多数の人口で平等に分配すれば、おそらくほとんどの人は貧しくなるのだが、その決断を迫られる経済危機、食料危機の時代が世界的にあるのではないか。ここを考えると、神と科学の戦いとは、神と神知らぬ人間の戦いであると思う。
3.無神論と無神論を前提としたライフスタイル
思想・信教の自由では、無神論も容認する。だが共産主義国など無神論国家では、思想・信教の自由を認めない。悪貨が良貨を駆逐する如く、旺盛な共産主義的洗脳、宣伝の下では、神知らぬ白でも黒でもない大衆は次第に無神論的考え方になっていく。神を物理的に証明できないことについては、科学の物証主義、文献主義という方法論も足を引っ張っている。
科学はいつから無神論でもよいことになったのだろうか。
4.他人が見ていないところでは悪事を行ってもよいとする発想
今の人には、悪事を行えば、天知る、地知るなどという感覚が薄いのだろうか。神仏を知らぬことは恥ずかしくも畏れ多いこと。神知る人の科学的姿勢と神知らぬ人の科学的姿勢は自ずと異なる。神知る人は神の許し給わぬことをわかっている。だが神知らぬ人はどうか。その辺が神と科学との最終決戦の原因になっていくのではないか。
かくしてこれからは、物証主義、文献主義を超えて、正しい師匠について冥想修行を行い、自ら神仏を確認する道しかあるまい。そしてそれが大衆化していく。