◎すべてを観照する意識
アシュタヴァクラは古代インドの聖者にして、生まれつきの身障者。彼は、母が妊娠中に子宮の中から大学者であった父親に学問的論争を挑み、怒った父親がアシュタヴァクラに呪いの言葉を投げつけた。その結果、彼は8か所がねじ曲がったラクダのような身体で出生してきた。
彼の弟子ジャナクが師アシュタヴァクラに真理を問う
『ジャナクは尋ねた
おお、師よ
人はどうしたら英知に至るのでしょう?
解放はどうしたら起こるのでしょう?
そして、どうしたら無執着に至るのでしょう?
どうか私にお話しください
アシュタヴァクラは答えた
おお、愛する者よ
解放を望むなら、情念を毒として放棄し
寛容、無垢、慈悲、充足、真実を甘露として飲み干しなさい
あなたは大地ではなく、風でも、火でも、水でも、精気(エーテル)でもない
解放に至るには、自分はこのすべてを観照する意識であると知りなさい
自らを肉体から切り離し、意識のなかにくつろげるなら
まさにこの瞬間、あなたは幸せで、安らぎ、束縛から自由だろう』
(エンライトメント/OSHO/市民出版社P8-9から引用)
OSHOバグワンは、情念の毒として、怒り、よこしまさ、冷酷、無慈悲、不満を列挙する。また人は、地水火風の四大から成る哲学的思弁でもエーテルでもなく、『すべてを観照する意識である』と思い切って言っている。
文字通り読めば、臨死により肉体から離脱し、意識の中にくつろぐ、と慧命経ばりのエクスタシーを描いている。
見ている自分はどうするのかなどという誤解の起こることなどおかまいなしだ。
OSHOバグワンの前世は、荘子だと言われる。荘子には身障者の覚者がよく出てくる。人を外面、肩書、財産で見てはいけないし、『すべてを観照する意識』にあるかどうかで見るのだ。
アシュタヴァクラは古代インドの聖者にして、生まれつきの身障者。彼は、母が妊娠中に子宮の中から大学者であった父親に学問的論争を挑み、怒った父親がアシュタヴァクラに呪いの言葉を投げつけた。その結果、彼は8か所がねじ曲がったラクダのような身体で出生してきた。
彼の弟子ジャナクが師アシュタヴァクラに真理を問う
『ジャナクは尋ねた
おお、師よ
人はどうしたら英知に至るのでしょう?
解放はどうしたら起こるのでしょう?
そして、どうしたら無執着に至るのでしょう?
どうか私にお話しください
アシュタヴァクラは答えた
おお、愛する者よ
解放を望むなら、情念を毒として放棄し
寛容、無垢、慈悲、充足、真実を甘露として飲み干しなさい
あなたは大地ではなく、風でも、火でも、水でも、精気(エーテル)でもない
解放に至るには、自分はこのすべてを観照する意識であると知りなさい
自らを肉体から切り離し、意識のなかにくつろげるなら
まさにこの瞬間、あなたは幸せで、安らぎ、束縛から自由だろう』
(エンライトメント/OSHO/市民出版社P8-9から引用)
OSHOバグワンは、情念の毒として、怒り、よこしまさ、冷酷、無慈悲、不満を列挙する。また人は、地水火風の四大から成る哲学的思弁でもエーテルでもなく、『すべてを観照する意識である』と思い切って言っている。
文字通り読めば、臨死により肉体から離脱し、意識の中にくつろぐ、と慧命経ばりのエクスタシーを描いている。
見ている自分はどうするのかなどという誤解の起こることなどおかまいなしだ。
OSHOバグワンの前世は、荘子だと言われる。荘子には身障者の覚者がよく出てくる。人を外面、肩書、財産で見てはいけないし、『すべてを観照する意識』にあるかどうかで見るのだ。