◎不条理を超える
北関東では、達磨を名産とする地が多い。
その達磨が人と悟りの関係を語る(四行論長巻子)。
『三蔵法師(菩提達摩)はおっしゃった。
「悟らないでいる時は人のほうが真理に迫っていこうとするが、悟る時は真理のほうが人に迫ってくる。
悟ってからは心が景色を包んでいるが、迷っているうちは心が景色に包まれている。」(NGl, 68)』
(「悟り体験」を読む (新潮選書)/大竹晋/新潮社P43から引用)
禅の十牛図では、見仏を第三図に置き、世間ではこれも悟りだと称するが、達磨は第八人牛倶忘だけが悟りであるとすることに迷いはない。
悟ってからは、心がすべてを包み、悟る前は心がすべてに包まれている。
これは、啐啄同機(そったくどうき)のようにまだ悟っていない時分を前提とした言葉とはまた異なることを言っている。
世界は逆転したが、逆転する前の人にこれを理解してもらうのは、なかなか難しい。現代社会は、世界の逆転を心理の底流に抱えて生きる場合には、なかなかに困難な道筋である。
次の時代は、社会全体の常識が逆転した世界観になるが、そうなるためには、万人が何らかの形で絶望的な心理状態を通過しなければならないのだろう。
北関東では、達磨を名産とする地が多い。
その達磨が人と悟りの関係を語る(四行論長巻子)。
『三蔵法師(菩提達摩)はおっしゃった。
「悟らないでいる時は人のほうが真理に迫っていこうとするが、悟る時は真理のほうが人に迫ってくる。
悟ってからは心が景色を包んでいるが、迷っているうちは心が景色に包まれている。」(NGl, 68)』
(「悟り体験」を読む (新潮選書)/大竹晋/新潮社P43から引用)
禅の十牛図では、見仏を第三図に置き、世間ではこれも悟りだと称するが、達磨は第八人牛倶忘だけが悟りであるとすることに迷いはない。
悟ってからは、心がすべてを包み、悟る前は心がすべてに包まれている。
これは、啐啄同機(そったくどうき)のようにまだ悟っていない時分を前提とした言葉とはまた異なることを言っている。
世界は逆転したが、逆転する前の人にこれを理解してもらうのは、なかなか難しい。現代社会は、世界の逆転を心理の底流に抱えて生きる場合には、なかなかに困難な道筋である。
次の時代は、社会全体の常識が逆転した世界観になるが、そうなるためには、万人が何らかの形で絶望的な心理状態を通過しなければならないのだろう。