◎既に始まっている言論統制、思想統制、宗教統制の時代
今後の、いや既に始まっている言論統制、思想統制、宗教統制の時代には、当然ながら殉教者が出る。
キリスト教公認以前は、殉教者が多数出て、殉教者列伝を見ると、公権力に全く抗し得ない、とても無力な篤信者の姿をいくらでも知ることができる。殉教者列伝は、遠い昔の夢物語だったのが、あるいは共産圏特有の事象だったが、気がつくと現代がそういう時代に成っていたことに愕然とするわけだ。
そのような言論統制、思想統制、宗教統制は、今度は世界的に行われ、最近の大きなものとしては、トランプ・バイデンの米大統領選挙であり、その次は未だ世界中の誰一人ウィルスの現物本体を確認できていないコロナ騒ぎである。コロナは、ワクチン・パスポートを以って国民一人一人を「政策」に従順な国民であることを強制する道具に変貌する可能性を有している。
もっとも中ソなどの共産圏では、昔から行われていたところで、戸籍に思想傾向欄や宗教欄がついているのは普通だったようだ。最近はそれに私有財産、口座残高がつくほどまでにDX(Digital Transformation)で進歩している。
今後米中対立と欧州ロシア対立を梃子に、自由主義圏もそれを目指すのだろう。
こういう時代は、冥想修行者は、やりにくいことこの上ない時代である。キリスト教殉教者列伝を見ると、そこまで信仰を貫かず、一旦棄教してほとぼりが冷めたら、キリスト教に戻ればよいのになどと思うのだが、宗教統制の時代はそれを許さなかったのだろう。そのやり方の苛酷さは、切支丹禁令の時代と同じなのだろう。殉教者がとても頑固だから死に至ったということではなく、取り締まりの厳しさゆえに殉教に追い込まれたのだろうと思う。
中国唐代の仏教禁止の時代には、有力禅僧といえども山に籠って修行した。既に個人の独自の信仰も統制されようとする時代が見えている。実際の山では、水も食料もないが、冥想修行者も、平時のうちに統制の時代を見据えて、人里離れた「山」に籠る準備を考える時代となった。
気がついた時には遅い。
出口王仁三郎『玉串を座布団の下に隠す』
今後の、いや既に始まっている言論統制、思想統制、宗教統制の時代には、当然ながら殉教者が出る。
キリスト教公認以前は、殉教者が多数出て、殉教者列伝を見ると、公権力に全く抗し得ない、とても無力な篤信者の姿をいくらでも知ることができる。殉教者列伝は、遠い昔の夢物語だったのが、あるいは共産圏特有の事象だったが、気がつくと現代がそういう時代に成っていたことに愕然とするわけだ。
そのような言論統制、思想統制、宗教統制は、今度は世界的に行われ、最近の大きなものとしては、トランプ・バイデンの米大統領選挙であり、その次は未だ世界中の誰一人ウィルスの現物本体を確認できていないコロナ騒ぎである。コロナは、ワクチン・パスポートを以って国民一人一人を「政策」に従順な国民であることを強制する道具に変貌する可能性を有している。
もっとも中ソなどの共産圏では、昔から行われていたところで、戸籍に思想傾向欄や宗教欄がついているのは普通だったようだ。最近はそれに私有財産、口座残高がつくほどまでにDX(Digital Transformation)で進歩している。
今後米中対立と欧州ロシア対立を梃子に、自由主義圏もそれを目指すのだろう。
こういう時代は、冥想修行者は、やりにくいことこの上ない時代である。キリスト教殉教者列伝を見ると、そこまで信仰を貫かず、一旦棄教してほとぼりが冷めたら、キリスト教に戻ればよいのになどと思うのだが、宗教統制の時代はそれを許さなかったのだろう。そのやり方の苛酷さは、切支丹禁令の時代と同じなのだろう。殉教者がとても頑固だから死に至ったということではなく、取り締まりの厳しさゆえに殉教に追い込まれたのだろうと思う。
中国唐代の仏教禁止の時代には、有力禅僧といえども山に籠って修行した。既に個人の独自の信仰も統制されようとする時代が見えている。実際の山では、水も食料もないが、冥想修行者も、平時のうちに統制の時代を見据えて、人里離れた「山」に籠る準備を考える時代となった。
気がついた時には遅い。
出口王仁三郎『玉串を座布団の下に隠す』