◎人類が存続するようなら禅が流行し、人類が滅亡するようならクンダリーニ・ヨーガが流行する
信心銘で、禅の悟りを象徴している言葉は、万法一如、真如法界、空、大道等々で、色味がなく、せいぜいがモノクロの山水画を見ているような感じ。これに対してクンダリーニ・ヨーガ系の悟りは、それまでのステップで、十分に枝葉をつけているものである。例えば錬金術書『逃げるアタランタ』XXⅢ図では、背景で、太陽とヴィーナス神が交わって、男女両性具有が成り、その結果、あるいは同時に白髪の赤子が誕生し、世界は黄金を降らして言祝ぐ。
同じくクンダリーニ・ヨーガ系である古事記では、天照大神が素盞嗚尊と天の安の川原で仲直り誓約をするシーンが、男女両性具有の実現であり、禅でいう『好悪なし』。この誓約で生まれた神が、伊都能売神。
道教では、柳華陽の慧命経に、微細身が肉体から離脱して、妙道(クンダリーニのエネルギーコードか)を上昇して「有」を出て「無」に入る(面壁図第七)。さらに心印懸空月影浮(大悟した心は月のように空に浮かぶ)、筏舟到岸日光融(有なる筏舟は太陽の岸に着いて融ける)と、有は無に転ずることを示す。
次の粉砕図第八は、一円相。全体としてダンテス・ダイジの示したクンダリーニ上昇の秘儀に、とてもよく似ている印象がある。
このようにクンダリーニ・ヨーガ系は各ステップの描写が細かく、具体的なものだが、禅は誠にストレートで核心をついているが、枯淡と言わざるを得ない。
そうしたもともと展開しにくい禅の文化的展開は、書院建築、作庭、華道、茶道、書道、水墨画、わび、さび、俳諧、禅文学、武士道、華美を忌み勤倹を旨とする習慣などに展開していったが、その源流は室町の夢窓国師にある。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」藤原定家。
禅には、しっかりした根はあるが花も紅葉もなかったところに、それを見せてくれた夢窓国師は日本を豊かにしてくれた。
これからは、クンダリーニ・ヨーガ系も力を入れないと。
※ダンテス・ダイジは、この時代、人類が存続するようなら禅が流行し、人類が滅亡するようならクンダリーニ・ヨーガが流行すると予言。
信心銘で、禅の悟りを象徴している言葉は、万法一如、真如法界、空、大道等々で、色味がなく、せいぜいがモノクロの山水画を見ているような感じ。これに対してクンダリーニ・ヨーガ系の悟りは、それまでのステップで、十分に枝葉をつけているものである。例えば錬金術書『逃げるアタランタ』XXⅢ図では、背景で、太陽とヴィーナス神が交わって、男女両性具有が成り、その結果、あるいは同時に白髪の赤子が誕生し、世界は黄金を降らして言祝ぐ。
同じくクンダリーニ・ヨーガ系である古事記では、天照大神が素盞嗚尊と天の安の川原で仲直り誓約をするシーンが、男女両性具有の実現であり、禅でいう『好悪なし』。この誓約で生まれた神が、伊都能売神。
道教では、柳華陽の慧命経に、微細身が肉体から離脱して、妙道(クンダリーニのエネルギーコードか)を上昇して「有」を出て「無」に入る(面壁図第七)。さらに心印懸空月影浮(大悟した心は月のように空に浮かぶ)、筏舟到岸日光融(有なる筏舟は太陽の岸に着いて融ける)と、有は無に転ずることを示す。
次の粉砕図第八は、一円相。全体としてダンテス・ダイジの示したクンダリーニ上昇の秘儀に、とてもよく似ている印象がある。
このようにクンダリーニ・ヨーガ系は各ステップの描写が細かく、具体的なものだが、禅は誠にストレートで核心をついているが、枯淡と言わざるを得ない。
そうしたもともと展開しにくい禅の文化的展開は、書院建築、作庭、華道、茶道、書道、水墨画、わび、さび、俳諧、禅文学、武士道、華美を忌み勤倹を旨とする習慣などに展開していったが、その源流は室町の夢窓国師にある。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」藤原定家。
禅には、しっかりした根はあるが花も紅葉もなかったところに、それを見せてくれた夢窓国師は日本を豊かにしてくれた。
これからは、クンダリーニ・ヨーガ系も力を入れないと。
※ダンテス・ダイジは、この時代、人類が存続するようなら禅が流行し、人類が滅亡するようならクンダリーニ・ヨーガが流行すると予言。