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クリシュナムルティの最後の講話

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◎生の本源は名がない

クリシュナムルティの最後の講話は、1986年インドのマドラスで行われた。

クリシュナムルティは、自ら「生の本源」というお題を振ったところ、それについて聴衆の一人との質疑になった。
『k

なぜそれを尋ねるのでしょうか。なぜなら、私が尋ねたからですか。おわかりですか、またもやあなたは…すみません。どんな叙述も合わないし、けっして本源を叙述できません。本源は名がないのです。

本源は絶対的に静かです。それは音をたてて騒ぎまわっていないのです。創造はたいへん聖なる何かです。それは生においてもっとも神聖なことです。

あなたがあなたの生をでたらめにしてしまったのなら、それを改めてください。今日、それを改めてください。明日ではありません。

あなたが不安定であるなら、なぜかを見出して、安定してください。あなたの考えがまっすぐでないなら、まっすぐに、論理的に考えてください。それらが準備され、それらが決着されていないかぎり、あなたはこの世界――――創造の世界に、入ることはできません。終わります。

これが最後の講話です。しばらくの間、ともに静かに坐っていたいでしょうか。よろしい。しばらくの間、静かに坐りましょう。』
(明日が変わるとき クリシュナムルティ最後の講話/J.クリシュナムルティ/UNIO P318-319から引用)

クリシュナムルティの言う創造の世界とは、只管打坐により生の本源を体験する中で知る世界だが、そういう表現は誤っているので、そうは説明しない。なんとなれば、『生の本源を体験する』ために只管打坐をするなどという冥想手法は誤りだからだ。というのは、只管打坐で坐る以上は、何の目的も何の期待もしてはならないからだ。

釈迦は冬の12月8日成道したという。釈迦は、呼吸覚醒ヴィパッサナーで成道したのではないかと思われるが、兎に角禅寺では12月8日までの7日間、臘八接心と言い、不眠不休で坐る。

この最後の講話で肝になっているのは、坐る以前に、出たらめになった生を改めよ、不安定なあなたを安定させよ、まっすぐでないあなたの考えを論理的にまっすぐにせと、ある部分である。

坐る以前に、只管打坐する以前に、生きる姿勢、考え方をまっすぐにせよと、殊更に言わなければならないのは、只管打坐でいきなり坐っても長続きしなかったり、魔境に入ったり、精神をやられたり、いろいろなことがあるからだと思う。あるいは、成熟の程度を問うためである。

もっともこの場では、あまりにも聴衆がクリシュナムルティのことを理解していないので、クリシュナムルティがいらだっているという面もある。

最終講話にして、クリシュナムルティの発言はほとんど理解されなかった。このいらいらを見て、ダンテス・ダイジは、クリシュナムルティは成功できなかったと見て、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』を世に問うことになった(巻頭言にあり)。

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