◎日本の麻なる生活と伝統文化破壊から再興へ
日本のデザインの代表的モチーフと言えば、麻の葉文様。障子の組子や襖(ふすま)に麻の葉が組まれたり描かれていることは、極々普通である。
八百万の神々も大衆も夏の快適ファッションとして麻の服を好む。
古神道では、大麻は罪や穢れを祓う神聖な植物。神主が祓いに用いる道具は「大麻(おおぬさ)」と呼ばれ、神事には必ず用いられる。
伊勢神宮のお札(ふだ)は堂々“神宮大麻”であり、江戸時代には御師により各戸に配られた。
シャーマニズムと言えば、チャネリング、神下ろしであって、世界的には、よりましが薬物摂取している例は多い。日本でも古事記の神功皇后がよりましとなってチャネリングを行っているが、トランスに入るために大麻を使う選択もあったのだろうが、そんなことは一言も古事記には入っていない。
そこにこだわるより、人間には脳内麻薬というものが存在することを先に思い起すべきだろう。
文化人類学的には、シャーマニズムとソーマは切り離せない傾向がある。求道的にみれば、シャーマニズムでの降霊、降神は、チャネラーたるよりましだけでは成らず、必ず審神者を必要とする。古事記でもチャネラー神功皇后と審神者武内宿禰(たけしうちのすくね)のペアになっている。
ところがチャネラーはどんなに高い神が懸かって託宣を述べたとしてもそのことを理解できているものではなく、また何が起こったかを把握しているものではない。よってそこに審神者の必要性がある。チャネラーは神の容れ物である限り自らの神人合一は成らないからである。
なお明治の大チャネラー出口ナオは最晩年に神を知った、と出口王仁三郎が認めている。
人間は神を知りながら日常生活を送るのが理想。古事記でも天照大神と素戔嗚尊が合体して天国と地獄を超える姿を見せているが、これが神を知るということ。神を知る技法として古事記では、チャネリングと筒男のクンダリーニ・ヨーガが示されている。これらの伝統のインフラが言霊と大麻だったのだと思う。
だがチャネリング自体がサブカル。
1948年には、日本には大麻農家が2万5千件もあったのだが、アメリカの意向で麻薬取締法が制定された関係で、一斉に閉鎖された由(麻薬と人間/ヨハン・ハリ/作品社p466)。これは国家神道撲滅と麻薬商売輸入の両にらみだったか。
こうして終戦後古神道のジャパネスクの薫香は失われたようになった。
さて世にサブカルと言えば、なまけもの助長みたいに思われ、やや左がかった人が多いという印象がある。全共闘世代が後期高齢者入りした今から見れば、同じ世代の産物であったのでそれも致し方ない。
そんな歴代サブカル愛好者は、西荻窪のプラサード書店を推し、やや時代が下ってからは、中野ブロードウェイのまんだらけを彷徨、神田神保町の書泉グランデ4階、原書房、青山のブッククラブ回、表参道の青山ブックセンター(目を見張るような本が時々あった)を経めぐって、今のサブカルがあるのだと思う。
最近の大書店の宗教、精神世界、スピリチュアル、サブカル系の本棚を見ると、細かく分派しすぎて何が正しくて何が間違っているのか若い人にはわかりにくいのではないかと思う。あまりにもカルト教団本やネットワーク詐欺本、誤った教えを説いている本が多すぎるからである。そういったものは、大金を出せば強力アイテムを入手できるように、大金を出せば真理がゲットできるだろうという、甘い期待に付け込んでくることが多い。
ごく少数だがまともなものもあるので、そうしたものにめぐり会えますことを。
日本のデザインの代表的モチーフと言えば、麻の葉文様。障子の組子や襖(ふすま)に麻の葉が組まれたり描かれていることは、極々普通である。
八百万の神々も大衆も夏の快適ファッションとして麻の服を好む。
古神道では、大麻は罪や穢れを祓う神聖な植物。神主が祓いに用いる道具は「大麻(おおぬさ)」と呼ばれ、神事には必ず用いられる。
伊勢神宮のお札(ふだ)は堂々“神宮大麻”であり、江戸時代には御師により各戸に配られた。
シャーマニズムと言えば、チャネリング、神下ろしであって、世界的には、よりましが薬物摂取している例は多い。日本でも古事記の神功皇后がよりましとなってチャネリングを行っているが、トランスに入るために大麻を使う選択もあったのだろうが、そんなことは一言も古事記には入っていない。
そこにこだわるより、人間には脳内麻薬というものが存在することを先に思い起すべきだろう。
文化人類学的には、シャーマニズムとソーマは切り離せない傾向がある。求道的にみれば、シャーマニズムでの降霊、降神は、チャネラーたるよりましだけでは成らず、必ず審神者を必要とする。古事記でもチャネラー神功皇后と審神者武内宿禰(たけしうちのすくね)のペアになっている。
ところがチャネラーはどんなに高い神が懸かって託宣を述べたとしてもそのことを理解できているものではなく、また何が起こったかを把握しているものではない。よってそこに審神者の必要性がある。チャネラーは神の容れ物である限り自らの神人合一は成らないからである。
なお明治の大チャネラー出口ナオは最晩年に神を知った、と出口王仁三郎が認めている。
人間は神を知りながら日常生活を送るのが理想。古事記でも天照大神と素戔嗚尊が合体して天国と地獄を超える姿を見せているが、これが神を知るということ。神を知る技法として古事記では、チャネリングと筒男のクンダリーニ・ヨーガが示されている。これらの伝統のインフラが言霊と大麻だったのだと思う。
だがチャネリング自体がサブカル。
1948年には、日本には大麻農家が2万5千件もあったのだが、アメリカの意向で麻薬取締法が制定された関係で、一斉に閉鎖された由(麻薬と人間/ヨハン・ハリ/作品社p466)。これは国家神道撲滅と麻薬商売輸入の両にらみだったか。
こうして終戦後古神道のジャパネスクの薫香は失われたようになった。
さて世にサブカルと言えば、なまけもの助長みたいに思われ、やや左がかった人が多いという印象がある。全共闘世代が後期高齢者入りした今から見れば、同じ世代の産物であったのでそれも致し方ない。
そんな歴代サブカル愛好者は、西荻窪のプラサード書店を推し、やや時代が下ってからは、中野ブロードウェイのまんだらけを彷徨、神田神保町の書泉グランデ4階、原書房、青山のブッククラブ回、表参道の青山ブックセンター(目を見張るような本が時々あった)を経めぐって、今のサブカルがあるのだと思う。
最近の大書店の宗教、精神世界、スピリチュアル、サブカル系の本棚を見ると、細かく分派しすぎて何が正しくて何が間違っているのか若い人にはわかりにくいのではないかと思う。あまりにもカルト教団本やネットワーク詐欺本、誤った教えを説いている本が多すぎるからである。そういったものは、大金を出せば強力アイテムを入手できるように、大金を出せば真理がゲットできるだろうという、甘い期待に付け込んでくることが多い。
ごく少数だがまともなものもあるので、そうしたものにめぐり会えますことを。