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初詣考

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◎どの神社に詣でるか

日本人が神社を年頭に参詣するを初詣という。問題はどの神社に詣でるか。

出口王仁三郎が終戦直後朝日新聞に語った吉岡発言では、人間を祀った神社への信仰が日本の敗戦をもたらしたと糾弾している。

人間を祀った神社は、日本国内に数多い。
1.怨霊を祀った神社
北野天満宮、太宰府天満宮(菅原道真)、神田神社(平将門)、京都の上・下御霊神社(早良親王)

2.氏族の守護神社
 春日大社(藤原氏)、厳島神社(平氏)、下鴨神社(賀茂氏)等

3.人を神として祀った神社
 日光東照宮(徳川家康)、豊国神社(豊臣秀吉)、明治神宮(明治天皇)、靖国神社

人間を祀っていない神社としては、以下のようなものがある。
4.国家鎮護の神社
伊勢神宮、出雲大社、鹿島神宮、日吉大社

5.土地・地方の鎮守の神社
浅草寺(江戸)、大宮氷川神社(武蔵国)、寒川神社(相模国)等。これらは、大なるものだが、小は市町村、屋敷等の鎮守でもって勧招された神も多い。

6.古いパワースポットの神社
上述の神社は多かれ少なかれパワースポット上に位置しているものだろうが、次のような神社は由緒あるパワースポット系と考えられる。
大神神社(奈良)、吉備津神社(岡山)、住吉大社(大阪)、熊野本宮大社(和歌山)、熱田神宮(愛知)等
※パワースポットも、現世利益的パワーであればあるほど、何十万人も押し寄せれば、パワーレスになるかもね。


これは祭神を軸とした分類であるが、これをどう理解していくかは、古神道の顕斎・幽斎により基本的な理解を得ることができる。
つまり神社参詣とは顕斎であり、天つ神、国つ神、八百万神を祭祀するものであって、宮殿があって、祝詞があって、幣帛があって、神の洪恩大徳を報謝して、敬虔の意を表する事である。

けれども人の信仰は、顕斎だけでは不足であり、幽斎を行って充分となる。幽斎とは、メディテーションのことであり、真神を祈る道にして、宮社もなく、祭文もなく、幣帛もない。ただ願望するところを、自分の霊を以て祈祷し奉ること。この願望の純粋性が厳しく問われることはいうまでもなく、自分の霊とは、第三身体アストラル個別霊のことではなく、第六身体アートマンのことを自分の霊と言っているように思う。

神社参詣とは顕斎であり、人が肉体を持つ以上は、顕斎は必要。さすれば、その人の属する土地・社会性の見地から、参詣すべき神社は自ずと決まると考えるべきだろう。また冥想なき神社参詣も現在の混乱の原因となっていることも忘れてはならないだろう。

件の出口王仁三郎も、人を祀る神社を批判しておきながらも、昭和10年3月10日、出口王仁三郎本人は台湾にあったが、陸軍記念日につき東京昭和青年会、坤生会両員合同して、靖国神社を参拝させた記録が残っている。(大本資料集成/池田昭編P853)


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