◎喜ぶこともなく、悩むこともない
カクダが釈迦に問う。
『〔カクダいわく〕「修行僧よ、あなたが悩むことがないのは、どうしてですか?喜びが存在しないというのは、どうしてですか?
独り坐っているあなたに、不快が襲うことがないのはどうしてですか?」
〔尊師いわく〕
「悩みの生じた者には、喜びが起こる。喜びの生じたものには、悩みが起こる。
修行僧は、喜ぶこともなく、悩むこともない。友よ、このように知れ」と。』
(ブッダ 神々との対話/岩波文庫P127より引用)
釈迦は、欲界に軸足を置いてはいないので、快楽も苦悩も相手にしない。快適であること、もうかることだけを追求していっても、当面その先は地獄だが、いつかはそうした世界にたどり着くことがある。
これを以て邪境も悟りの機縁になり得るともいう。しかし釈迦の説く一つの道で、専一に修行する修行者にとってはこうした説明は、修行の邪魔である。
「喜ぶこともなく、悩むこともない」とは、もはや涙も苦悩もない別の世界に生きる人の説明ぶりであって、自分でその境地に至らないとわかるものではなかろう。
カクダが釈迦に問う。
『〔カクダいわく〕「修行僧よ、あなたが悩むことがないのは、どうしてですか?喜びが存在しないというのは、どうしてですか?
独り坐っているあなたに、不快が襲うことがないのはどうしてですか?」
〔尊師いわく〕
「悩みの生じた者には、喜びが起こる。喜びの生じたものには、悩みが起こる。
修行僧は、喜ぶこともなく、悩むこともない。友よ、このように知れ」と。』
(ブッダ 神々との対話/岩波文庫P127より引用)
釈迦は、欲界に軸足を置いてはいないので、快楽も苦悩も相手にしない。快適であること、もうかることだけを追求していっても、当面その先は地獄だが、いつかはそうした世界にたどり着くことがある。
これを以て邪境も悟りの機縁になり得るともいう。しかし釈迦の説く一つの道で、専一に修行する修行者にとってはこうした説明は、修行の邪魔である。
「喜ぶこともなく、悩むこともない」とは、もはや涙も苦悩もない別の世界に生きる人の説明ぶりであって、自分でその境地に至らないとわかるものではなかろう。