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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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冥想フリーク盤珪

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◎モチベーションの高さ

盤珪は播州赤穂の人。最初は儒学塾に入り、大学の道は明徳を明らかにするということで、明徳を学んだが納得せず、浄土宗の寺で念仏三昧をやった。

次に真言宗の稲富山に30日間日参して、観世音に黙祷したというからには、観世音を観想するのを30日間やったのかもしれない。

17歳で赤穂の禅僧雲甫の下で得度、ここで数年を修行。20歳でこの寺を出て諸国を冥想修行の旅に出た。

京都の五条の橋の下で乞食を4年。京都の松尾大社の拝殿で7日間断食。大阪の天満のあたりで乞食をして菰をかぶって寝た。

大分ではライ病の乞食と起居を共にした。奈良県の吉野山で山に籠った。ただこの頃は、山の岩の上や河原で坐禅を組むのだが、誰も食物を持ってくるわけではないので、7日間も食べないのはざらだったとあるので、京都の松尾大社での断食は特別なことではなかったのだろう。

24歳で赤穂に戻り、一丈四方の出口のない草庵を作り、食べ物を入れる穴と、用便をする穴があるだけのその部屋で、からだを横にしないようにして坐禅したり念仏三昧していたらお尻の皮が破けて痛んで困ったが、それでも一日一晩といえども横臥することなく坐り続けていた。

こうして26歳になり血痰を吐くようになったが、「一切事は不生で調う」の悟りを得た。

この悟りをチェックしてもらうため30歳になるまで諸方の禅僧を捜していたが、滅亡直前の明からやってきた禅僧道者超元に長崎で出会い、「まだ自分のことにこだわっているが、取り組みの姿勢は良い」とまだまだであることを指摘されて発奮。盤珪は、更に修行を工夫して翌年大悟した。

15歳の頃からこれだけ諸方歴参し、飢えも厭わずストレートに坐っていれば悟りは近いだろう。15歳にしてスマホでゲームしていては、発心があるとしても修行に邁進するモチベーションは、維持することはできまい。

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