◎繊細で虚無をかかえた青年期
一休は、破道無慙にして豪放磊落にも見えるが、その実、繊細で虚無をかかえて青年期を生きていた。
彼は16歳の頃から5年間、謙翁宗為の下で修行した。謙翁は、妙心寺開山関山慧玄(大徳寺開山大燈国師の弟子)の弟子無因の印可を謙遜して辞退したので、謙翁と称せられる。食事は托鉢だけ。
一休は、宗純という道名までもらい、更に謙翁から「あなたには何もかも上げた、これ以上上げるものはない。印可を出したいが、私にはその資格がない」とまで言ってもらったという。
ところがこの謙翁が、一休21歳の時に突然死去する。一休は、金がなくて謙翁の葬儀もだせないまま、裏の山に師謙翁の亡骸を埋めた。絶望した一休はその足で、厳冬の瀬田の唐橋から投身自殺を図った。
胸騒ぎを覚えた母の伊予局の侍女玉江が一休を救助したという。
この広汎にメンヘラな時代に、精神病が自殺の前駆となることは広く知られているので、自殺そのものは、かつてのようなひたすらネガティブなイメージはないかもしれない。悟る前の人は誰でも生きづらいものだ。一休であってさえも。
一休は、破道無慙にして豪放磊落にも見えるが、その実、繊細で虚無をかかえて青年期を生きていた。
彼は16歳の頃から5年間、謙翁宗為の下で修行した。謙翁は、妙心寺開山関山慧玄(大徳寺開山大燈国師の弟子)の弟子無因の印可を謙遜して辞退したので、謙翁と称せられる。食事は托鉢だけ。
一休は、宗純という道名までもらい、更に謙翁から「あなたには何もかも上げた、これ以上上げるものはない。印可を出したいが、私にはその資格がない」とまで言ってもらったという。
ところがこの謙翁が、一休21歳の時に突然死去する。一休は、金がなくて謙翁の葬儀もだせないまま、裏の山に師謙翁の亡骸を埋めた。絶望した一休はその足で、厳冬の瀬田の唐橋から投身自殺を図った。
胸騒ぎを覚えた母の伊予局の侍女玉江が一休を救助したという。
この広汎にメンヘラな時代に、精神病が自殺の前駆となることは広く知られているので、自殺そのものは、かつてのようなひたすらネガティブなイメージはないかもしれない。悟る前の人は誰でも生きづらいものだ。一休であってさえも。