東大寺の蛍
◎戦後農業と大仏蛍の盛衰 東大寺の蛍は、大きいことで知られていた。 東大寺の境内には、白蛇川、吉城川、大仏殿の裏から講堂跡を流れ正倉院横の大仏池に注ぐ川などがある。これらの川には昭和30年頃までには、田植え時になると蛍が群れ飛んでいた。...
View Articleバリ島コレラは日本人だけ発病
◎世界一清潔な国の世界一ひ弱な人々 平成7年の2月から4月にかけ、インドネシアのバリ島に行った日本人観光客のコレラ感染者が200人以上、37都道府県に及び発生した。 ところが地元のバリ島ではコレラ感染者は見当たらず、また他の国の観光客からもコレラ感染者が見られなかったことを受け、インドネシア政府は「バリ州では過去6カ月間コレラの発生はなかった」と公式見解を発表した。...
View Article慧可のことば
◎石ころの心 達磨に肩ひじを切って差し出した慧可のことば。 『ある人が、可法師にきいた。「どうすれば聖人になることができます」 答え、「およそ凡聖というものは、すべて勝手に妄想して、これがよいと考えだしただけのものだ」 さらに、「すべてが妄想である以上、どんな風に道を修めるのか」...
View Article貧しい人の多い時代を評価する
◎チャンスは長く続かない 人間の文明の最初は狩猟採集生活である。 生産力、獲得力が少なければ人間は一人で生きていくことはできないので、家族、血族単位で狩猟採集に必要な役割をその中で分担して、生きていく。狩猟採集で得られるものは乏しいので、家族、血族の集団的自意識が優勢であり、個人としての意識はあまり明確にはならない。...
View Article鈴木大拙の背水の坐禅
◎禅と霊界探訪 鈴木大拙は、釈宗演老師から無字の公案を与えられていたようだ。 彼が26、7歳の頃、洋行を前にして、アメリカに行けば参禅することができないということで、臘八接心にて「背水の坐禅」を行い、見性した。その時、山門を下ろうとして、月明の中の松の巨木と、己れとの区別をまったく忘じつくした自己を自覚したという。...
View Article船頭になった巌頭和尚
◎杜鵑 月に叫んで夜三更 巌頭和尚は、徳山の嗣法。845年会昌の破仏に遭遇し、寺を焼かれた上、追放されたため、還俗して船頭をやりながら修行。最後は賊に襲われて首を斬られて死ぬがその「 吽 ( うん ) 」と叫ぶ声が数里の外まで響いたという。 一休が、巌頭和尚を歌った詩がある。 会昌以後 僧形を破る 一段の風流 何似生 トウ(木へんに早)を舞わして未だ為人の手を懐にせず 杜鵑 月に叫んで夜三更...
View Article巌頭の最期
◎寺を出て冥想するスタイル 875年から884年まで唐では、黄巣の乱が吹き荒れた。880年には黄巣は長安を陥れ、国号を斉とし帝位に就くなど、唐の威令は地に落ちた。 885年から光啓帝の時代が始まるが、唐は実質的に長安付近を支配しているにすぎず、諸国は群盗割拠し、治安は乱れに乱れていた。...
View Article見る、聞く、知る
◎達磨も老子も無為にして為さざるなし 達磨の二入四行論は、1900年に発見された敦煌本の一つ。二入とは、理入、行入。 四行とは、報冤行、随縁行、無所求行、称法行。 以下は達磨の二入四行論の一節。 『法身(永遠なる仏体)は身体を持たぬ。それゆえに見ないという見方で、はじめて法身を見る。 正法は、音声をもたない。それゆえに聞かぬという聞き方で、はじめて正法を聞く。...
View Article主を畏れ、彼を信ずる
◎永遠の喜びと恵み ベン・シラの言葉から。 『子よ、主の僕たらんと欲するならば 試錬を覚悟せよ。 気持ちをととのえてじっとこらえよ。 災難にあってもあわてるな。 最後に勝利を得るためには 彼に鎚りついて離れるな。 身にふりかかることはすべて甘受せよ。 運が傾いて落ちぶれても忍耐せよ。 金は火で試され 人はみじめというかまどを経て一人前になる。...
View Article一休の自殺未遂
◎繊細で虚無をかかえた青年期 一休は、破道無慙にして豪放磊落にも見えるが、その実、繊細で虚無をかかえて青年期を生きていた。 彼は16歳の頃から5年間、謙翁宗為の下で修行した。謙翁は、妙心寺開山関山慧玄(大徳寺開山大燈国師の弟子)の弟子無因の印可を謙遜して辞退したので、謙翁と称せられる。食事は托鉢だけ。...
View Article南泉の猫を斬った後
◎やり過ぎた咎め 南泉が猫を斬ったのは、猫好きにとってはありえない話である。ところが、傑僧趙州の師たる南泉は猫を斬ってからは、そのことを負い目に感じていたようだ。というのは、猫を斬ってから利他行=カルマ・ヨーガのことでもある異類中行を、南泉は言い出したからである。猫も異類である。 そこで、趙州は、南泉さん本気でそんなことを主張するのですかと言わんばかりに以下の問答を仕掛ける。...
View Article臨済が坐禅中に居眠りする
◎只管打睡してなにができる 「参禅は身心脱落であるべき、只管打睡してなにができる」とは、天童如浄が、道元の隣席の修行僧に言った言葉。 さて臨済が、僧堂の自分の席で居眠りをしていた。臨済の師匠の黄檗は、これを見つけて杖で臨済の席をたたいた。臨済は顔を挙げて黄檗であることを見たが、そのまま眠り続けた。...
View Article寂室の遺誡
◎一人あるいは小グループでの修行 寂室は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。 寂室は、入寂に際して、弟子たちを集めて、山の中や人気のない沢に閑居して修行を続けなさいと命じた。...
View Article良寛とスーパー・リッチ
◎貧すれば鈍す スーパー・リッチとくれば、何かよいことのように宣伝されているものだ。 良寛は平素から、人を批評することはなかった。しかしそういう彼でも時には一言あった。 江戸時代の越後のスーパー・リッチたる、ある村の庄屋が非常に立派な邸宅をこしらえた。 これを見て良寛は、「貧すれば鈍す」と言った。...
View Article毒湛遺訓
◎禅は何よりも真参実悟が大切 毒湛は、明治42年から大正3年まで妙心寺派管長だった老師。勿論印可を得ていたが、中年になってから2~3週間の法華懺三昧を修したというから、南無妙法蓮華経のマントラ・ヨーガの修行をやったのだろう。 七か条ある彼の遺訓の第一は、 「禅は何よりも真参実悟が大切である。文字禅や口頭禅であってはならぬ。」...
View Article洗脳を成功させるには
◎ころりと無意識のうちに洗脳 エドワード・バーネイズは、1891年ウィーン生まれで、広告・宣伝の父と呼ばれるアメリカ人広報マン。 彼は、1955年に発表した『合意の製造』という本の中で、宣伝を成功させる8つのポイントを挙げている。 『 1.目的を明確化せよ。 2.徹底的に調査を行え 3.調査で得られた結果に基づいて目標に修正を加えよ 4.戦略を立案せよ...
View Article禅に生きる日本?と禅が盛んなアメリカ
◎器はあるが魂入らず アメリカでの仏教伝道は、最初は西本願寺が隆盛だったが、後に臨済、曹洞の禅宗が盛り返し、1980年代には、大きい禅道場は会員に入るのも難しいほどで、小さい3、4人のグループあちこちにあって、そういうのが百日とか二百日の参籠をやっていて、さながら中国の唐代が禅の黄金時代だったが、それと同じような禅フィーヴァーになっていたらしい。...
View Articleオバマ大統領広島演説
◎アメリカの宗派なき冥想道の結実 オバマ大統領の広島演説は、リンカーンのゲティスバーグ演説と並ぶ米大統領の歴史的名演説の一つとなった。 人種差別をなくそうとするリンカーンのゲティスバーグ演説が、1世紀半を経て黒人のオバマ大統領を打ち出した。...
View Article『道』が鼓動する
◎光り輝く炎のエネルギー ジョン・ブロフェルドは、ケンブリッジ大学を出て、昭和8年から14年にかけて日中戦争の時期に7年間中国を放浪し、その間中国道教を体感した。 以下の文は、彼の質問に対する道教の師の回答だが、道についての見解と、日課を見るに相当な修行者であったことがわかる。ジョン・ブロフェルドも師にここまで語らせるほど準備ができていたということ。...
View Article上薬、中薬、下薬
◎不老不死と仙人 古代中国では、薬を上薬、中薬、下薬の三分類した。 上薬とは、不老不死を実現し、仙人になる薬であり、中薬とは、性を養い健康を維持するための薬である。下薬とは病気を治す薬である。 道教的冥想体系では、呼吸法、柔軟体操があり、坐忘などの冥想体験が語られているので、その体系の中の一部として、服薬=外丹があったということになる。...
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