◎アメリカの宗派なき冥想道の結実
オバマ大統領の広島演説は、リンカーンのゲティスバーグ演説と並ぶ米大統領の歴史的名演説の一つとなった。
人種差別をなくそうとするリンカーンのゲティスバーグ演説が、1世紀半を経て黒人のオバマ大統領を打ち出した。
そしてそのオバマ大統領が、1945年の広島の惨劇の跡に立ち、その核兵器によって今や文明の大破壊を迎えようとする世界に向かって、「核保有国は、恐怖の理論から逃れ核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない。」と叫んだのだ。
文明の進歩発展とは、兵器の革新や軍事力の強化や社会全体を軍隊へ奉仕する体制に変えていくことではない。オバマ大統領は、「軍事力によってではなく、何を築き上げるかで国家を評価すべきだ。そして何にも増して、同じ人類として、互いのつながりを再び考えるべきだ。それが、人間が人間たるゆえんだ。」とそれを否定し、相互の侵略を戒める。
そしてオバマ大統領は「言葉だけではそのような苦しみに声を与えることはできない。歴史を真っすぐに見つめ、再び苦しみを生まないために何を変えなければいけないのかを問う共通の責任がある。」と云うけれど、貪欲と打算に曇った頭脳では、外面を糊塗し、体裁を繕うことしかできない。
よって、真にこの世界から悲しみと苦悩の叫びをなくすためには、かなりの人が冥想により神を知っている社会にならなければならない。
20世紀初めから、アメリカは宗教の坩堝であった。日本からも東西本願寺が入り、禅宗が入り、日蓮宗が入り、ダライラマが入り、パラマンサ・ヨガナンダが入り、OSHOバグワンが入り、クリシュナムルティが入って、アメリカの清新な空気を揺り動かし続けてきた。
何よりも特筆すべきなのは、特に1960年代以降若者の間で、本物の大悟覚醒を求めるモチベーションが数人の小集団、あるいは数百人の集団の中で、維持され続けてきたことである。いわば宗派なき冥想道がアメリカで芽吹き、その成果の一つがZENブームだけでなく、オバマ大統領の広島演説であったと見ることができる。
これに比して、いかにも日本は求道的に後進国ではないか。
ここに、カルトも、ドラッグも、暴力も、強欲も、テロも、イデオロギーも、宗派の別も振り捨てて、真の平和を実現する第一歩が踏み出された。
しかしそれは、オバマ大統領一人の力で成るものでなく、我々ひとりひとりが冥想に生きることができるかどうかにかかっている。
オバマ大統領の広島演説は、リンカーンのゲティスバーグ演説と並ぶ米大統領の歴史的名演説の一つとなった。
人種差別をなくそうとするリンカーンのゲティスバーグ演説が、1世紀半を経て黒人のオバマ大統領を打ち出した。
そしてそのオバマ大統領が、1945年の広島の惨劇の跡に立ち、その核兵器によって今や文明の大破壊を迎えようとする世界に向かって、「核保有国は、恐怖の理論から逃れ核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない。」と叫んだのだ。
文明の進歩発展とは、兵器の革新や軍事力の強化や社会全体を軍隊へ奉仕する体制に変えていくことではない。オバマ大統領は、「軍事力によってではなく、何を築き上げるかで国家を評価すべきだ。そして何にも増して、同じ人類として、互いのつながりを再び考えるべきだ。それが、人間が人間たるゆえんだ。」とそれを否定し、相互の侵略を戒める。
そしてオバマ大統領は「言葉だけではそのような苦しみに声を与えることはできない。歴史を真っすぐに見つめ、再び苦しみを生まないために何を変えなければいけないのかを問う共通の責任がある。」と云うけれど、貪欲と打算に曇った頭脳では、外面を糊塗し、体裁を繕うことしかできない。
よって、真にこの世界から悲しみと苦悩の叫びをなくすためには、かなりの人が冥想により神を知っている社会にならなければならない。
20世紀初めから、アメリカは宗教の坩堝であった。日本からも東西本願寺が入り、禅宗が入り、日蓮宗が入り、ダライラマが入り、パラマンサ・ヨガナンダが入り、OSHOバグワンが入り、クリシュナムルティが入って、アメリカの清新な空気を揺り動かし続けてきた。
何よりも特筆すべきなのは、特に1960年代以降若者の間で、本物の大悟覚醒を求めるモチベーションが数人の小集団、あるいは数百人の集団の中で、維持され続けてきたことである。いわば宗派なき冥想道がアメリカで芽吹き、その成果の一つがZENブームだけでなく、オバマ大統領の広島演説であったと見ることができる。
これに比して、いかにも日本は求道的に後進国ではないか。
ここに、カルトも、ドラッグも、暴力も、強欲も、テロも、イデオロギーも、宗派の別も振り捨てて、真の平和を実現する第一歩が踏み出された。
しかしそれは、オバマ大統領一人の力で成るものでなく、我々ひとりひとりが冥想に生きることができるかどうかにかかっている。