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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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巌頭の最期

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◎寺を出て冥想するスタイル

875年から884年まで唐では、黄巣の乱が吹き荒れた。880年には黄巣は長安を陥れ、国号を斉とし帝位に就くなど、唐の威令は地に落ちた。
885年から光啓帝の時代が始まるが、唐は実質的に長安付近を支配しているにすぎず、諸国は群盗割拠し、治安は乱れに乱れていた。

修行者たちは難を逃れて地方に散ったが、巌頭だけは坐禅を続けて悠然としていた。巌頭は洞庭の臥龍山に初住し、後、湖北省の鄂州唐年山の巌頭院に住した。

887年4月8日大群、小群の盗賊が入り込んできて、食料を要求してきたが、それが叶わないことがわかるや、刀で切りつけてきた。巌頭は顔色一つ変えずに大声を出して果てた。
その声は数十里に聞こえた。
巌頭は60歳であった。会昌の破仏は845年だから彼の修行生活のスタート時から既に破仏の環境だった。

破仏は不幸なことだが、この時代から寺を出て冥想するのが始まったと見ることもできる。昼は船頭(巌頭)をしながら余暇で坐禅するスタイルだから、これは現代人の冥想スタイルでもある。

でも冥想が深まってくれば働けなくなることがあるので、専門道場、修道院、メディテーションセンターは、あることが望ましい。

それと正師。ただし未悟者には、誰が正師か見分ける目はない。よって正師に出会って、その下で冥想を修行するというのは、まことに縁であると思う。いつかどこかで正師に出会っているかもしれないが、そのチャンスを生かすかどうかも縁である。

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