◎石ころの心
達磨に肩ひじを切って差し出した慧可のことば。
『ある人が、可法師にきいた。「どうすれば聖人になることができます」
答え、「およそ凡聖というものは、すべて勝手に妄想して、これがよいと考えだしただけのものだ」
さらに、「すべてが妄想である以上、どんな風に道を修めるのか」
答え、「君は道を何にくらべて、修めようなどというのか。法には高い低いの特徴もなければ、法には行ったり来たりする特徴もない」』
(人類の知的遺産 第16巻 ダルマ P259から引用)
これは一見、木で鼻をくくったような取りつく島もない回答に聞こえるが、法そのものはそういうものだ。ダンテス・ダイジが石ころの心と言ったやつだ。
それにとりついてみれば、いつかは開けることもあるらしい。
達磨に肩ひじを切って差し出した慧可のことば。
『ある人が、可法師にきいた。「どうすれば聖人になることができます」
答え、「およそ凡聖というものは、すべて勝手に妄想して、これがよいと考えだしただけのものだ」
さらに、「すべてが妄想である以上、どんな風に道を修めるのか」
答え、「君は道を何にくらべて、修めようなどというのか。法には高い低いの特徴もなければ、法には行ったり来たりする特徴もない」』
(人類の知的遺産 第16巻 ダルマ P259から引用)
これは一見、木で鼻をくくったような取りつく島もない回答に聞こえるが、法そのものはそういうものだ。ダンテス・ダイジが石ころの心と言ったやつだ。
それにとりついてみれば、いつかは開けることもあるらしい。