◎禅は何よりも真参実悟が大切
毒湛は、明治42年から大正3年まで妙心寺派管長だった老師。勿論印可を得ていたが、中年になってから2~3週間の法華懺三昧を修したというから、南無妙法蓮華経のマントラ・ヨーガの修行をやったのだろう。
七か条ある彼の遺訓の第一は、
「禅は何よりも真参実悟が大切である。文字禅や口頭禅であってはならぬ。」
文字禅は文字により実相を求める禅。口頭禅とは、公案解釈などの学問や理屈の禅。
彼の経歴には、地震で崩壊したお寺の再建の話が多いが、それは本質とはあまり関係ない。
唐代の禅僧薬山は、牛小屋を改造したところで50人も坐禅していたという。二人、数人であっても、集団で求道する勢いがあれば、環境はなんのそのというところはある。
毒湛は、明治42年から大正3年まで妙心寺派管長だった老師。勿論印可を得ていたが、中年になってから2~3週間の法華懺三昧を修したというから、南無妙法蓮華経のマントラ・ヨーガの修行をやったのだろう。
七か条ある彼の遺訓の第一は、
「禅は何よりも真参実悟が大切である。文字禅や口頭禅であってはならぬ。」
文字禅は文字により実相を求める禅。口頭禅とは、公案解釈などの学問や理屈の禅。
彼の経歴には、地震で崩壊したお寺の再建の話が多いが、それは本質とはあまり関係ない。
唐代の禅僧薬山は、牛小屋を改造したところで50人も坐禅していたという。二人、数人であっても、集団で求道する勢いがあれば、環境はなんのそのというところはある。