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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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信心銘

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◎努力する事、しないこと

禅の三祖僧璨信心銘は、禅の文書中にあって神秘主義的な響きを持つ文章である。

その一部をOSHOバグワンが説く。まず信心銘本体。
『物事の深い意味が分からぬうちは、
心の平安はいたずらに乱される。
道は大いなる虚空のように完全だ。
足りないものも、余計なものもない。

しかり、いいとかいけないとか選り好みをするばかりに、
本当の姿が見えないだけだ。
外側の物事のもつれの中にも、
内側の空無の中にも、住んではいけない。

穏やかに、何を求めるでもなく、
大いなる一体性の中にとどまるがいい。

そうすれば、誤った物の見方は自ずから消えよう。
静寂を得ようとして、行動を抑えてみても、
まさにその努力が、かえって人を行動で満たす。
どちらか一方の極端にいるかぎり、
決して一体性を知ることはできない。
このただひとつの道に住まぬかぎり、』
(信心銘/ラジニーシ/禅文化研究所P49から引用)

この信心銘本文では、努力することの放棄を求め、それをなんとか放棄しようと努力することの悪循環を指摘する。
禅で悟りを得ようと努力するが、悟りはその努力の先にはないと言っているわけだ。

OSHOバグワンは、逆効果の法則(フランスの心理学者、エミール・クーエが提唱した法則で、努力すればする程、反対の結果になるというもの)を引いて、次のようにコメントする。

『老子、荘子、ボーディダルマ、僧璨、こういう人達はこの逆効果の法則の精通者だ、そしてこれがヨガと禅との違いだ。

ヨガはあらゆる努力をする。禅は努力をしない。そして禅は、どんなヨガよりも真実だ。だが、ヨガの方が人に受ける。なぜなら、あなた達に関するかぎり、することは易しいからだ。たとえ、それがどんなに難しいことでも、することは易しい。

しないことは難しい。「何もしてはいけない」と言われれば、あなたたちは途方に暮れる。』
(信心銘/ラジニーシ/禅文化研究所P53から引用)

大悟覚醒は、過去何回かの人生の経験と成熟と努力によるまともな方向性の集大成である。一朝にして突然鳶(とんび)から鷹が生まれるわけではない。

努力しないことについて、あらゆる工夫とノウハウを傾けているうちにその努力が落ちることがあるというものであって、なにもせず漫然としていれば、落ちるというものではあるまい。

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