◎客観的、主観的双方の時間と空間が溶け込む場所
以下は、フィリス・アトウォーターの時の裂け目みたいな体験だが、それが単なる無数の霊界、無数の宇宙の一つなのかは議論のあるところである。
『すぐさま私は、私が後に<無>と呼ぶようになっていたものの中に引きこまれていった。
それは、三度の臨死体験のうち二度目の時に現われたふつうではない場所だ。それは<無>としか言いようのないものなのだが、敢えて言えば、それ自体が一つの次元であり、客観的、主観的双方の時間と空間が光と闇、秩序と混沌、興奮と静寂、現実と非現実の中に溶け込む場所である。完全な空虚、無でありながら、何か期待感のようなものと明滅するきらめきだけはあるのだ。
その<無>の中では、渦巻くような塊が形を成し、純粋なエネルギーが波となって次々と渦巻いており、私は無力な木の葉のようにその中心部に吸い込まれていく。すると中心部は広がり、回転が止む。
その時、私は翌年の春までの未来の日々を過ごしていることに気づいた。』
(臨死体験未来の記憶 精神世界へのあらたな光/フィリス・アトウォーター/原書房P59から引用)
この先の文章で、彼女は未来の日々を事前に体験してしまい、そして日常生活にもどっていく。
今や、こういう未知なる場所を探検する人こそ真のパイオニアであって、今更エベレストを登頂する人をパイオニアとは呼ばないだろう。エベレストは、もはや未知のフロンティアではないからである。
宇宙飛行士は、命をかけて宇宙船で暮らすが、そこでも人間と同次元にあることに変わりはない。そういう肉体のある次元での活動に活路を見出す道もあるだろうが、人間の真の可能性は、21世紀となって、意識の自由、自意識の拡大、あらゆる欲望のつまらなさを経て、いまや意識の彼方に向けられているのではないか。
事実神経系にかぶるエーテル体をまとい、人によってはアストラル体があくがれ歩き、呼吸停止心拍停止の中でメンタル体で肉体を出る人もいる。そして一気にニルヴァーナに突入し帰還しえた人もいる。
しかしそれらの体験は、時にあまりにも驚異と神秘に満ちており、体験者が語るべき言葉を持たない場合があることが、マスコミ受けしないところである。
彼女の見た何か期待感のようなものとは何か、明滅するきらめきの光源の正体が何か。そこにこの探求の終着点があるように思う。
以下は、フィリス・アトウォーターの時の裂け目みたいな体験だが、それが単なる無数の霊界、無数の宇宙の一つなのかは議論のあるところである。
『すぐさま私は、私が後に<無>と呼ぶようになっていたものの中に引きこまれていった。
それは、三度の臨死体験のうち二度目の時に現われたふつうではない場所だ。それは<無>としか言いようのないものなのだが、敢えて言えば、それ自体が一つの次元であり、客観的、主観的双方の時間と空間が光と闇、秩序と混沌、興奮と静寂、現実と非現実の中に溶け込む場所である。完全な空虚、無でありながら、何か期待感のようなものと明滅するきらめきだけはあるのだ。
その<無>の中では、渦巻くような塊が形を成し、純粋なエネルギーが波となって次々と渦巻いており、私は無力な木の葉のようにその中心部に吸い込まれていく。すると中心部は広がり、回転が止む。
その時、私は翌年の春までの未来の日々を過ごしていることに気づいた。』
(臨死体験未来の記憶 精神世界へのあらたな光/フィリス・アトウォーター/原書房P59から引用)
この先の文章で、彼女は未来の日々を事前に体験してしまい、そして日常生活にもどっていく。
今や、こういう未知なる場所を探検する人こそ真のパイオニアであって、今更エベレストを登頂する人をパイオニアとは呼ばないだろう。エベレストは、もはや未知のフロンティアではないからである。
宇宙飛行士は、命をかけて宇宙船で暮らすが、そこでも人間と同次元にあることに変わりはない。そういう肉体のある次元での活動に活路を見出す道もあるだろうが、人間の真の可能性は、21世紀となって、意識の自由、自意識の拡大、あらゆる欲望のつまらなさを経て、いまや意識の彼方に向けられているのではないか。
事実神経系にかぶるエーテル体をまとい、人によってはアストラル体があくがれ歩き、呼吸停止心拍停止の中でメンタル体で肉体を出る人もいる。そして一気にニルヴァーナに突入し帰還しえた人もいる。
しかしそれらの体験は、時にあまりにも驚異と神秘に満ちており、体験者が語るべき言葉を持たない場合があることが、マスコミ受けしないところである。
彼女の見た何か期待感のようなものとは何か、明滅するきらめきの光源の正体が何か。そこにこの探求の終着点があるように思う。