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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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火の洗礼、水の洗礼

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◎起こることは起こる

ヨハネはで洗礼し、イエスは火で洗礼した。

水の洗礼とは、道義的、物質的、肉体的、現在的な救済のことである。風災、水災、火災の大三災や、飢病戦(飢餓、病気(パンデミック、バイオテロ、生物化学兵器)、経済戦、思想戦、物理的戦争、通常戦争、核戦争)などは、物質的、肉体的被害を生じ、しかる後に復興し得るので、これらは、水の洗礼である。

物質文明は、肉体生命維持に不可欠なものであるが、人間の自然、ナチュラリティからあまりにもズレが大きくなった場合、文明破壊としてこうした洗礼が起こる。阪神大震災、東日本大震災などもそうで、台風も水の洗礼。しかし、こうした自然災害や戦争が起こったからといって、それを体験した万人が大悟、覚醒するわけではない。

そこで道義を超え、経済的メリットを無視し、愛のために愛する真の愛、永遠の命、大慈大悲を万人が生きるべく、人間の精神、心理はおろか実存までも別次元に革正するもの。それが、火の洗礼である。

火の洗礼は一朝一夕にして成るものではなく、また何か世界的イベントが起きて全人類が一斉に見性したりするとは考えにくい。仮にそうしたイベントが起こってそこに居合わせたとしても、悟るか悟らないかはその人によるからである。

例のポルトガルのファティマの聖母降臨の奇蹟にしても、それを目撃した全員が悟ったわけではないからである。神に出会うには日々の準備が必要なのである。よって火の洗礼に出会うかもしれないが、それで救済が起こるかどうかは、自分の日々の冥想修行によるというところは外せない。

でないと、起こることは起こったが、わかったかどうかは別ということになりかねない。


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