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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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転生活仏制度の今昔

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◎マンツーマン輪廻転生や密教の窮極など

チベット仏教には、今の日本みたいに、在家で妻帯して修行を継続するカギュー派というのがあって、もともと教義の体系化よりは、密教修行の方に重きを置いた宗派だった。妻帯する在家仏教では、戒律を守れないので、政教一致の体制の中で、氏族の中から選抜した男性だけの修行グループを構成し、密教修行に専念させることにした。

この舞台となった寺院のトップは修行者から選抜されたが、後継トップは、現リーダーの甥(リーダーは妻帯していないいので、子はいないので)とされる体制で発足した(叔父、甥相続)。ところがこうした氏族教団は、甥に政教の実権が集中するので甥のできが悪いと教団全体が衰退、滅亡することになる。

これでは都合が悪いので案出されたのが、転生活仏制度。カギュー派の支派の一つであるカルマ派は、最初にこの制度を導入した。

カルマ派のトップがカルマパであり、先年ヒマラヤを越えてチベット脱出を敢行した。

転生活仏制度の理論的裏付けは、涅槃に入ると人は終わりなので、涅槃に入る直前で衆生済度に当たるために、涅槃に入らず、何度でも転生して衆生済度を行うということ。

この考え方の前提の一つは、密教冥想は、涅槃(ニルヴァーナ)に入れば終わりでその後は転生しないというのが大前提になっている。これはインド風の発想であって、悟った後は転生はないという考え方。禅の十牛図の第九図十図はないということ。

またチベット死者の書では、人は死後すぐに原初の光なるニルヴァーナに戻るみたいなのだが・・・・・。

加えて輪廻転生を考えると、Aという個人の輪廻転生後は、マンツーマンでそのままAなのか、A´なのかという議論がまずある。

こうした議論があるせいかどうか、仏教他宗派では、転生活仏制度は採用されていない。

またチベット密教ものを読むとけっこういい加減な転生活仏もあるようだが、リンポチェの尊称のある人はそれなりの人と思う。

人は、教育と環境を整えれば、神を見る、涅槃を見るというところまでは、おおむね行くだろうという発想がある。これは、専門道場、修道院、至福千年の時代における教育の考え方でもあろうと思う。

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