◎世の中は食うて稼いで寝て起きて
一休の道歌。
あら楽や 虚空を家と住みなして
心にかかる造作もなし
本来もなき 古(いにしえ)の我なれば
死にゆく方も何もかもなし
作り置く罪が須弥ほどあるならば
閻魔の帳につけ所(どころ)なし
釈迦といふ いたづらものが世に出でて
多くの人を迷はするかな
世の中は食うて稼いで寝て起きて
さてその後は死ぬるばかりぞ
心とは 如何なるものを云うやらむ
すみゑに書きし松風の音
物事に執着せざる心こそ
無相無心の無住なりけれ
冒頭の「あら楽や~」と最後の「物事に~」は読みぶりは異なるが、全く同じ生活実感を書いている。
閻魔帳に書ききれない悪事を誰もがやっているだろうし、それでは極楽行きの人もまずいないだろう。その悪事、罪とは本当にあるのかと歌うが、真に受けて悪業三昧の人も出ることがある。
本来もなき 古(いにしえ)の我がなければ、食うて稼いで寝て起きる我は、本当の意味では生きないだろう。
水墨画には、明のパートと無明のパートがある。心は明も無明も描き出す。
釈迦をいたづら者と評するのは、覚者だけ。
悟っていない者がそんなことを言っても何にもならない。
一休の道歌。
あら楽や 虚空を家と住みなして
心にかかる造作もなし
本来もなき 古(いにしえ)の我なれば
死にゆく方も何もかもなし
作り置く罪が須弥ほどあるならば
閻魔の帳につけ所(どころ)なし
釈迦といふ いたづらものが世に出でて
多くの人を迷はするかな
世の中は食うて稼いで寝て起きて
さてその後は死ぬるばかりぞ
心とは 如何なるものを云うやらむ
すみゑに書きし松風の音
物事に執着せざる心こそ
無相無心の無住なりけれ
冒頭の「あら楽や~」と最後の「物事に~」は読みぶりは異なるが、全く同じ生活実感を書いている。
閻魔帳に書ききれない悪事を誰もがやっているだろうし、それでは極楽行きの人もまずいないだろう。その悪事、罪とは本当にあるのかと歌うが、真に受けて悪業三昧の人も出ることがある。
本来もなき 古(いにしえ)の我がなければ、食うて稼いで寝て起きる我は、本当の意味では生きないだろう。
水墨画には、明のパートと無明のパートがある。心は明も無明も描き出す。
釈迦をいたづら者と評するのは、覚者だけ。
悟っていない者がそんなことを言っても何にもならない。