◎清風払明月 明月払清風
フレーザーの金枝篇では、未開部族を中心に、老いた王者が殺され、若い王者にとって代わられるモチーフが世界的に見られることが中心テーマの一つになっている。
これにはいくつかの派生的バリエーションもあり、老いた王がその座を延命するために、息子などをいけにえに差し出すというのもその一つ。スウェーデンでは、すでに8人の息子を生贄にした老王が、寝たきりになってもまだ9人目の息子を生贄に差し出そうとしたが、さすがに老王は殺されたというプロットがある。
王は世俗の王であって、宗教方面の王ではない。王はその地方の文明の象徴であり、文明が爛熟すれば、文明全体に清新の息吹が吹き込まれなければ、その文明が復活することはない。文明全体の若返りの着手として、老いた王は追われて殺されざるを得ないのだ。
爛熟度がひどければ、しばしば聖者もその地方に出現する。
唐代の禅僧の洞山が、弟子の一人と山を歩いていると沢に菜っ葉が流れているのを見て、さては上流に人がいるに違いないと踏み、沢沿いに5、7里ほど登るとやせこけた異形の竜山和尚に出会った。二言三言言葉を交わすとただものではないことがわかったので、洞山は袈裟をつけ威儀を正して礼拝し、竜山和尚にその悟境を「主人と客人が出会ったらなんと表現しますか」と問うた。
すると竜山和尚は、「清風白月を吹き払う」と答えたので、洞山は納得した。
王はかつては名月だった。だが吹き払われる時節もあるが、それは人間のさかしらによるものではない。
フレーザーの金枝篇では、未開部族を中心に、老いた王者が殺され、若い王者にとって代わられるモチーフが世界的に見られることが中心テーマの一つになっている。
これにはいくつかの派生的バリエーションもあり、老いた王がその座を延命するために、息子などをいけにえに差し出すというのもその一つ。スウェーデンでは、すでに8人の息子を生贄にした老王が、寝たきりになってもまだ9人目の息子を生贄に差し出そうとしたが、さすがに老王は殺されたというプロットがある。
王は世俗の王であって、宗教方面の王ではない。王はその地方の文明の象徴であり、文明が爛熟すれば、文明全体に清新の息吹が吹き込まれなければ、その文明が復活することはない。文明全体の若返りの着手として、老いた王は追われて殺されざるを得ないのだ。
爛熟度がひどければ、しばしば聖者もその地方に出現する。
唐代の禅僧の洞山が、弟子の一人と山を歩いていると沢に菜っ葉が流れているのを見て、さては上流に人がいるに違いないと踏み、沢沿いに5、7里ほど登るとやせこけた異形の竜山和尚に出会った。二言三言言葉を交わすとただものではないことがわかったので、洞山は袈裟をつけ威儀を正して礼拝し、竜山和尚にその悟境を「主人と客人が出会ったらなんと表現しますか」と問うた。
すると竜山和尚は、「清風白月を吹き払う」と答えたので、洞山は納得した。
王はかつては名月だった。だが吹き払われる時節もあるが、それは人間のさかしらによるものではない。