◎無限の実在界に更生するのが目的
出口王仁三郎は、まず受胎時の両親の精神状態を問う。すなわち両親が悪逆無道であれば、子も悪逆無道であり、逆に両親が至正至直であれば、子も至正至直であるという。
(霊界物語第4巻第三四章 紫陽花)
さらに出口王仁三郎は、人生50年全体をも妊娠期間中の十月十日にたとえ、受胎とは、単なるスタートラインに過ぎないとも捉えている。
すなわち、受胎時は、混沌として卵のようなものであるが、10か月たつとすでに母体の保護を受けなくともよい状態までに発育し、肉体機能は一通りできあがるので、出産となる。
ところが、特に意思想念つまり霊魂の働きは、まだ混沌として卵のようなものである。そこには何も独立した個性というものはない。こうして歳月を経るにしたがつて、その精神も肉体もしだいに発達し、ここに意思想念・霊魂に個性が生まれ、独立性を有するようになる。
五十年の人生は、十か月間にわたる胎児での母体内の生活と似て、人間の霊魂をその肉体内に保護しつつ、その独立した個性を養育する過程である。
ままならぬ社会制度や、生活のための苦労や、向上のための勉学、その他肉体におきる病気までも、ことごとく物質レベル・肉体レベルでの諸事象は、人間の霊魂を保護し鍛え上げる妊娠中の母体に相応している。
このようにして人の霊魂が完全に発育して、肉体の保護や補助をうけなくとも独立独往できる状態になって、その肉体を離れ現象の世界を去つて、無限の実在界に更生することを「大往生」と出口王仁三郎は呼ぶ。(出口王仁三郎著作集 第3巻 愛と美といのち 読売新聞社P77,78)
無限の実在界に更生するとは、解脱することであって、単に極楽往生することではない。要するに人生の目的は肉体を脱し悟ることだと言っている。
※実在とは:
高御産巣日神は神漏岐(かむろぎ)系の祖神にして、天御中主神の精神系である。而して神産巣日神は神漏美(かむろみ)系の祖神にして、天御中主神の物質系である。精神と物質とは天御中主神の両面である。此三柱は並独神成坐すので、唯一の実在にますなる天御中主神の御内証が、忽ち分れて精神、物質の二系統を為す。(神霊界第二巻P.331国教樹立に就て)
出口王仁三郎は、まず受胎時の両親の精神状態を問う。すなわち両親が悪逆無道であれば、子も悪逆無道であり、逆に両親が至正至直であれば、子も至正至直であるという。
(霊界物語第4巻第三四章 紫陽花)
さらに出口王仁三郎は、人生50年全体をも妊娠期間中の十月十日にたとえ、受胎とは、単なるスタートラインに過ぎないとも捉えている。
すなわち、受胎時は、混沌として卵のようなものであるが、10か月たつとすでに母体の保護を受けなくともよい状態までに発育し、肉体機能は一通りできあがるので、出産となる。
ところが、特に意思想念つまり霊魂の働きは、まだ混沌として卵のようなものである。そこには何も独立した個性というものはない。こうして歳月を経るにしたがつて、その精神も肉体もしだいに発達し、ここに意思想念・霊魂に個性が生まれ、独立性を有するようになる。
五十年の人生は、十か月間にわたる胎児での母体内の生活と似て、人間の霊魂をその肉体内に保護しつつ、その独立した個性を養育する過程である。
ままならぬ社会制度や、生活のための苦労や、向上のための勉学、その他肉体におきる病気までも、ことごとく物質レベル・肉体レベルでの諸事象は、人間の霊魂を保護し鍛え上げる妊娠中の母体に相応している。
このようにして人の霊魂が完全に発育して、肉体の保護や補助をうけなくとも独立独往できる状態になって、その肉体を離れ現象の世界を去つて、無限の実在界に更生することを「大往生」と出口王仁三郎は呼ぶ。(出口王仁三郎著作集 第3巻 愛と美といのち 読売新聞社P77,78)
無限の実在界に更生するとは、解脱することであって、単に極楽往生することではない。要するに人生の目的は肉体を脱し悟ることだと言っている。
※実在とは:
高御産巣日神は神漏岐(かむろぎ)系の祖神にして、天御中主神の精神系である。而して神産巣日神は神漏美(かむろみ)系の祖神にして、天御中主神の物質系である。精神と物質とは天御中主神の両面である。此三柱は並独神成坐すので、唯一の実在にますなる天御中主神の御内証が、忽ち分れて精神、物質の二系統を為す。(神霊界第二巻P.331国教樹立に就て)