◎大脱身からアートマン
20世紀初頭の霊がかりの時代とそれからの脱却、そして20世紀後半の正統的な脱身へのガイダンスを経て21世紀に入った。
この人類文明が正統的な進化を遂げるために必要なキーは、脱身のまともな評価以外にはないのではないかと思う。
脱身とは、憑依による膝ジャンプでもアストラル・トリップでもない。
パタンジャリのヨーガ・スートラ3.43『意識に触れる力、それは、メンタル体の外側にあるのだが、それゆえに堪えがたいものだが、これを大脱身と呼び、この力により、光の覆いが壊れる。』
※MANUMAYA SHARIRはメンタル体と訳したが、OSHOバグワンの説明では、エーテル体の次のボディのことであり第三身体だが、パタンジャリは、アストラル体とメンタル体を区別しているかどうかわからないので、ここはメンタル体と見た。
※MAHAVIDEHAは、大脱身。
OSHOバグワンの説明(”Yoga: The Alpha and the Omega, Vol 9から)では、見る者と見られるもの(心に浮かぶもの)は、これで分離、明確化するという。これにより、自分は見る者であり、心に浮かぶものではないと知る。
更に、光の覆いが壊れたので、自分には、境界がなく無限であることを知っている人となる。
ここで個ははずれ、アートマン(ひとつながりのもの)となった。ゆえにこの大脱身とは、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』に出てくる神人合一のプロセスのことと考えられる。
20世紀初頭の霊がかりの時代とそれからの脱却、そして20世紀後半の正統的な脱身へのガイダンスを経て21世紀に入った。
この人類文明が正統的な進化を遂げるために必要なキーは、脱身のまともな評価以外にはないのではないかと思う。
脱身とは、憑依による膝ジャンプでもアストラル・トリップでもない。
パタンジャリのヨーガ・スートラ3.43『意識に触れる力、それは、メンタル体の外側にあるのだが、それゆえに堪えがたいものだが、これを大脱身と呼び、この力により、光の覆いが壊れる。』
※MANUMAYA SHARIRはメンタル体と訳したが、OSHOバグワンの説明では、エーテル体の次のボディのことであり第三身体だが、パタンジャリは、アストラル体とメンタル体を区別しているかどうかわからないので、ここはメンタル体と見た。
※MAHAVIDEHAは、大脱身。
OSHOバグワンの説明(”Yoga: The Alpha and the Omega, Vol 9から)では、見る者と見られるもの(心に浮かぶもの)は、これで分離、明確化するという。これにより、自分は見る者であり、心に浮かぶものではないと知る。
更に、光の覆いが壊れたので、自分には、境界がなく無限であることを知っている人となる。
ここで個ははずれ、アートマン(ひとつながりのもの)となった。ゆえにこの大脱身とは、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』に出てくる神人合一のプロセスのことと考えられる。