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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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サンヤマから光へ-1

◎オメガ・ポイント ヨーガの行法は大別して、8種あり、.制戒(ヤーマ)、内制(ニャーマ)、坐法(アーサナ)、調息(プラーナヤーマ)、制感(プラティーヤハーラ)、 総持(ダーラナ)、定(ジャーナ)、三昧(サマディー)である。 このうち最後の3種、つまり制感(プラティーヤハーラ)、総持(ダーラナ)、定(ジャーナ)、三昧(サマディー)を同時に行うのをサンヤマ(samyama)と呼ぶ。...

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サンヤマから光へ-2

◎太陽と月の出会い さらにOSHOバグワンは、pratibhaについて、まず、 『太陽は知性で、月は直感。あなたが両方を超越するとき、pratibhaが来る』とし、 『プラティバとは、エネルギーが知性と直感の二重性を超えた時を意味し、それは両方を超えている。直感は知性を超えているが、プラティバはその両方を超えている。...

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感情コントロール

◎コーザル体の超意識へ 人間の一見理性を動機とすると思われる行動の背後には往々にして、理性どころか強い感情が働いているものである。 人間にとって感情のコントロールは難しい。クンダリーニ・ヨ-ギ本山博は、感情のコントロールのできなかった行動の実例として、若者のいじめ、反社会的、無道徳な行為を挙げる。...

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七つの身体と下方互換

◎現実認知の崩壊と微細身 七つの身体について並べて説明すると、いつそれぞれの身体を認識するのかという疑問が出てくるものだ。 一般には、こういう図式であれば、下方互換をイメージするので、例えば『メンタル体までわかれば、それ以下のアストラル体、エーテル体がわかるようになる。同様にアストラル体まで認識できれば、それ以下のエーテル体も認識できる。』というように想像するのだが、実際はそうではないらしい。...

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ヨーガ・スートラでの大脱身

◎大脱身からアートマン 20世紀初頭の霊がかりの時代とそれからの脱却、そして20世紀後半の正統的な脱身へのガイダンスを経て21世紀に入った。 この人類文明が正統的な進化を遂げるために必要なキーは、脱身のまともな評価以外にはないのではないかと思う。 脱身とは、憑依による膝ジャンプでもアストラル・トリップでもない。...

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霊肉脱離の境

◎死の技術 出口王仁三郎は、六度死んだが、それは、大脱身であったと思われる。 出口王仁三郎は、生涯において膨大な著作を残しているが、肝心なその体験についてほとんど語っていない。 語るべき体験ではなく、語ることのできない体験であったからというところだったと思われるが、以下の道歌、断片的な感想にそれを想像することができる程度である。 出口王仁三郎の道歌 『一度(ひとたび)は霊肉脱離の境越えて...

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神経ハイジャック

◎アンチ冥想な習慣と電子デバイス 電車で座っている人のほとんどは、寸暇を惜しんでスマホや携帯に向かう。そこまで一分一秒を惜しんで努力と関心をつぎ込んで、今ここでやらなければならないものなのだろうか。 『テクノロジーは概して人間の頭が生み出すものであり、イノベーションやポテンシャルの発現の成果である。現代の機械はバーチャルな奴隷、生産性向上の手段として私たちに奉仕する。...

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正しい想念、イカレタ想念

◎想念と現実 妄想の一種である想念と、実際にあった出来事の霊的ビジョンは、異なる。 想念は、半ば無意識であり、半ば意識である。 想念とは、現実のあるものに関して自分自身のそれのイメージを作り込むことである。半ば無意識の想念は、ほとんどが現実化することはなく、まれに現実化するものがある。...

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最後に出現する雲

◎実在・智慧・至福の直前 パタンジャリのヨーガ・スートラの最後から4番目の4.31。 『最も高い覚醒の状態に向けてすら、常に無欲の状態を保つことができる人、そして最高の識別知を発揮することが可能である人は、徳を降らす雲として知られている状態に入る』 この雲について、OSHOバグワンは、こんな感じの説明をしている((”Yoga: The Alpha and the Omega, Vol...

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天国の先

◎文明の進歩と人間の進化 人は、安らぎ、自由、力強さ、智慧深きこと、美しさなど天国的に生きるべきであって、それと対極の地獄的な生き方をすべきではない。求道というのは、禁戒や戒律の形やそれ以外の様々なシーンで、日々刻々天国的に生きること、正しく生きることを求めてくるものだ。 仏教や古神道という世界宗教が、最後のひと輝きのような形で残った日本。だが、日本ですらこの世は半ば地獄的様相を呈している。...

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水牛の尻尾

◎無門関の第三十八則 牛過窓櫺 禅問答集の無門関の第三十八則 牛過窓櫺(ぎゅうかそうれい) 『禅の五祖法演禅師が曰く、 たとえば、水牛が窓の格子越しに通っていくのを見ていて、頭、角、四本の蹄がすべて行き過ぎ終わったのに尻尾だけが残って行き過ぎない。』 これを無門が歌うに 『窓を過ぎ去れば、堀や溝に落ちてしまう 引き返すようでは押しつぶされる この尻尾は、甚だ奇怪である。』...

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心と現実が一つになる

◎心を通じて得られる知識は少ない パタンジャリのヨーガ・スートラの最後から5番目の4.30から。 『4.30その時、障害とカルマから解放される 4.31 障害や不純なものというベールが取り除かれた覚醒における無限の智慧と比べて、マインドを通じて得られる知識は非常に少ない』 OSHOバグワンは、この部分において((”Yoga: The Alpha and the Omega, Vol...

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三種のグナの終わり

◎無力と悲惨の終わり パタンジャリのヨーガ・スートラの最後から3番目の4.32から。 『三種のグナは、その目的を達成し、その変化のプロセスは終わる。』 三種のグナは、サットヴァ(照明)、ラジャス(不安)、タマス(暗痴)で、この世の三元素であり、心の三元素。...

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刹那の秘密

◎現実の裂け目 パタンジャリのヨーガ・スートラの最後から2番目の4.33から。 『4.33 瞬間瞬間に起きる変化のプロセスであるカルマは、三種のグナの変容の最後に把握できるようになる』 普通の人は時間は連続していると思い込んでいるが、ここでは、連続しておらず、瞬間瞬間(刹那)で断絶しているとする。 瞬間瞬間の隙間についてOSHOバグワン((”Yoga: The Alpha and the...

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聖杯とヘンリー・シンクレア

◎聖杯とルーン文字 昨日テレビでヒストリー・チャネルテレビを見ていたら、聖杯とヘンリー・シンクレアの仮説をやっていた。 ヘンリー・シンクレアは、スコットランドのフリーメーソンの故地ロスリンの王子なのだが、彼は何か貴重なものを隠し持っていて、それがイエスが最後の晩餐の時に、イエスの血なるワインを弟子たちと回し飲みした金属製の盃Grailつまり聖杯だったのではないかという前提。...

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ヨーガの旅の終わり

◎今帰ってきてください パタンジャリのヨーガ・スートラの最後から2番目の4.33から。 『4.34アートマン(プルシャ)の目的の喪失により、グナは再統合され、これに伴ってカイバリヤ(KAIVALYA、独存)なる覚醒が起きる。ここにアートマン(プルシャ)は真の状態に回帰するが、それは純粋な意識である。』 三種のグナと、アートマン(プルシャ)が登場し、それが収まると、カイバリヤなる独存になる。...

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冥想行から隙間の世界へ

◎ヨーガ・スートラの読みづらさ パタンジャリのヨーガ・スートラ全文は、195句しかないのだが、これの読みづらいことはこの上ない。ウパニシャッドなどを日本古典文学全集で読んでいくと、全く逆の意味のことが書いてあったりして、統一的な思想が根本にあったわけではなく、平たく言えば悟った人と、そうでない人が、バラバラに口授、伝承したのをまとめたものと感じ取られるものだ。...

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ある王子の死

◎一人で坐る OSHOバグワンの布教史で最大の転機というべきものは、米国進出。 1980年頃には、プーナが5千人規模となり、地元住民と信者のあつれきが絶えず、かつまたサンニャーシン内部でのセックス、薬物、暴力の規律の乱れも看過できないものになり、教団自体が、アメリカのオレゴンに進出した。 米国進出の前夜で大きな事件は、OSHOバグワン自身の父の死と、ベルギーの王子ヴィマルキルティの死だった。...

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孤独な生活と身だしなみ

◎心の社会性と正気 現代社会では、衣食住さえ安く手に入れば、ほとんどリアルな人と接触せずに日々を過ごすことができるほどに文明の利器はそろった。 そんな中で、通勤も通学も結構な量の家事もないとなれば、人は自分を飾ることを放棄するようになる場合がある。 すると、奇妙なことではあるが、その人間の本性とも言うべき潜在意識が表面に出てくる。...

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終わりの印と時を選ぶこと

◎霊照女からモンゴル 10月後半になってからの超大型台風など終わりの印には事欠かない。 唐代の禅僧ホウ居士の娘霊照は、臨終間近のホウ居士に「日の高さを見ていてくれ。正午になったら、知らせてくれ」と言いつけられた。 さて正午に霊照は、「正午になりました。しかも日蝕です。」と父ホウ居士に知らせてきた。 ホウ居士が、入り口を出て空を見ている隙に、霊照は、父の座に坐り込んで合掌し坐亡した。...

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