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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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民衆の宗教を見る目

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◎インド人と日本人

ババジスワミ・ラーマという二人の聖者の周辺には現世利益・おかげをいただこうと無邪気なインドの民衆が集まってくる。聖者は、さながら奇跡と徳を持つ有名アイドルであって、べたべた触られたり、じろじろ見られたり、プレゼントをもらったりしまくる。

厳密な意味で有縁の衆からこういう目にあわされるのは致し方ないが、聖者であっても、未悟の修行中の身であっても煩わしすぎることがあるのは、気の毒なことである。

ただインド民衆は、精神的なものに何か価値があるという信仰は捨てていない。よってインドにも偽聖者は多いものの、本物も多数存在するので、そういう点で、インド精神世界市場はずっと活況を継続している。

一方日本人の大半は、精神的なものに何か価値があるという発想はもはやなくなったと言えるのではないか。宗教のみならず、生け花、茶道、武道、絵画、音楽に至るまで、お金を払えば、奥義を伝授してくれたり、特選・高段になるシステムがあるらしいということは、世間知の一つである。

こういう風潮は戦前から変わらない。出口王仁三郎の和歌(歌集 言華から)に

ところどころ偽救い主現れて 迷える羊を地獄に落としつ

茶の道の宗匠するも千円の謝金出さねば許さぬ闇の世

帝展に出品するも数千円の金つかはねばパスせぬ世なり

身の周りすべてこんな具合だから、宗教についても日本人は、社会に本物が存在するという期待や信仰すらも喪失してしまい、それが社会通念になっているのだと思う。

それのとどめが、オウム真理教事件であった。

いまや日本人は、あらゆる期待を捨てて、ただ坐るしかないところに追い込まれている。今坐るのは、周囲の理解は薄いだろうが、まず5分10分足を組んで坐ってみることから始めないと。

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