◎ファナー
マントラを繰り返し繰り返し繰り返し念唱することで、人はマントラ・シッディに至り、そこから神へのコンタクトに進むこともできる。
白いスカートで円運動を踊るスーフィの修行の基本は、「アッラー、アッラー」とか「スッブハーン・アッラー、スッブハーン・アッラー(アッラーの栄光をたたえまつる)」などの短いマントラを繰り返し繰り返し唱えるズィクルと呼ばれるマントラ・ヨーガ。
マントラ・ヨーガであるからには、帰依が必須となるのだが、果たしてスーフィでも帰依は必須。全面的帰依の先に一者=アートマンがある。
スーフィでは一者との合一を単一化(タウヒード)とみて、神秘主義的直観により神を唯一の全体として、一挙に体認することを意味する(出所:イスラム神秘主義におけるペルソナの理念/R.A.ニコルソン/人文書院P175訳注10)。
周到な表現の仕方だが、禅の十牛図でいえば、第七忘牛存人。
スーフィにあっては、神を愛し、知るためには、神に対する愛と知のうちに自分を消滅させるのだが、その時神の一性(いつせい)のうちに自己は消滅し、自己と神はひっくりかえって、神が一であることを体認する。
この自我の消滅をファナーと呼ぶ。
マントラを繰り返し繰り返し繰り返し念唱することで、人はマントラ・シッディに至り、そこから神へのコンタクトに進むこともできる。
白いスカートで円運動を踊るスーフィの修行の基本は、「アッラー、アッラー」とか「スッブハーン・アッラー、スッブハーン・アッラー(アッラーの栄光をたたえまつる)」などの短いマントラを繰り返し繰り返し唱えるズィクルと呼ばれるマントラ・ヨーガ。
マントラ・ヨーガであるからには、帰依が必須となるのだが、果たしてスーフィでも帰依は必須。全面的帰依の先に一者=アートマンがある。
スーフィでは一者との合一を単一化(タウヒード)とみて、神秘主義的直観により神を唯一の全体として、一挙に体認することを意味する(出所:イスラム神秘主義におけるペルソナの理念/R.A.ニコルソン/人文書院P175訳注10)。
周到な表現の仕方だが、禅の十牛図でいえば、第七忘牛存人。
スーフィにあっては、神を愛し、知るためには、神に対する愛と知のうちに自分を消滅させるのだが、その時神の一性(いつせい)のうちに自己は消滅し、自己と神はひっくりかえって、神が一であることを体認する。
この自我の消滅をファナーと呼ぶ。