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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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水の豊かな国、水の乏しい国

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◎キリスト教の清潔・不潔

海外に行くと、蛇口から出てきた水が飲めないのは当然として、水道水に臭いがあったりしてがっかりさせられることが多い。

イタリアやスペインに行くと、テルマエ・ロマエで見たような古代ローマ時代の水道橋も公衆浴場もあり、古代ローマ時代には、現代並みの清潔な暮らしをしていたのだとわかる。

ところが、キリスト教が優勢になったことで、不潔な生活習慣に転じ、その不潔な影響は、19世紀まで西欧では続いた。

こう書くとキリスト教関係の人は色めき立つかもしれない。

もともとヒンドゥー教、仏教、イスラム教、古代ローマ人や古代ギリシア人は、みな儀式化された水を用いた清潔な生活習慣を持っていた。だが、これは4世紀にキリスト教が隆盛になる頃から、破壊された。

『ヒンドゥー教徒は、礼拝の前だけでなく、さまざまな「不浄」とみなされる行為のあとには洗い清めなければならない。イスラム教徒は、日に5回の礼拝の前に少なくとも3回、手や顔を洗わなければならないし、ほかにも洗う必要のある場面は多数ある。ユダヤ教徒は、各食事の前後、礼拝の前、用を足したあとに洗うことを要求された。

対照的に、キリスト教は水を用いる手の込んだ衛生的な儀式は何も定めなかった。よきキリスト教徒がしなければならないのは、パンとワインを聖別するために聖水をいくらか振りかけることだけである。なんといっても、イエス自身、座って食べる前にまず手を洗うなどということはしなかった。

著名なキリスト教徒たちが、水の洗浄効果を見せかけだけで無駄で、退廃的だとして公然と否定した。「清潔な体と清潔な衣服は汚れた魂を意味する」と述べた人もいる。シラミのたかった硬い毛織のシャツを着たもっとも敬虔なキリスト教徒たちは、地球上でもっとも体を洗っていない人々だった。』
(感染源/ソニア・シャー/原書房P85から引用)

キリスト教徒は、537年にゴート族がローマ水道を破壊した後再建しなかった。その結果、中世ヨーロッパ人は、浅い井戸、泥で濁った泉、よどんだ川の水をそのまま飲んだという。

山秀水明。水清く、山は青い。そういう言葉が息づいているのは、水の豊かな国だけである。欧州は、そういう場所が少ない。中東も少ない。だが、そんな場所でも健康を維持するためにもともとは清潔な儀式があり、水道インフラがあった都市すらあった。

近代西欧文明は、キリスト教がバックボーンであって、その負の側面はこうしたところにあり、14世紀以降のペストの蔓延などの遠因となった。

水の豊かな国というのは、世界的にも珍しく、それだけでもとても恵まれている。
現代の日本人は、清潔は当然であり、更にウォシュレットの普及や消臭剤の広まりで、未曽有の潔癖国家となった。

肉体の健康は結構だが、わが心の清潔こそ優先事項のはずなのだが。ねたみ、そねみや他人の悪意に寛容であるのは、心の潔癖さにやや欠けるのではないか。
それは、ハタ・ヨーガだけやって冥想しないみたいな片手落ちな感じを受ける。恵まれた環境のあるうちに冥想を。

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