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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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イエス殺しとバルドル殺し

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◎実行犯を厳選し、過たず完遂された

バルドルは、北欧神話の神であり、最も賢明で、美しく光り輝く美貌と白いまつ毛を持ち、雄弁で優しかった。彼は、最も殺さざるべき神であったが、トリック・スターのロキは、盲目の神ヘズをそそのかして、ヤドリギで作った矢でバルドルを射殺した。

一方イエスは、イスカリオテのユダが、銀30枚で彼をユダヤに引き渡すことを約束し、かねてよりローマとユダヤ人から狙われていたイエスは、裁判の判決に従って十字架上で刑死した。

だが、ユダの裏切りをきっかけに、神の子イエスが捕縛され、ローマによる裁判で磔刑が決まったから刑死したというのは、単純すぎる理解である。

被害者は神バルドルと人イエスと異なるが、聖人である。ロキがやったように実行犯を厳選し、過たず完遂できるようなシナリオでないとイエスの刑死を実現させることはむずかしいと思う。

イエスは、自分に何が起きるか承知していたし、ユダは、最後の晩餐の最後までいた。ユダは、自分の裏切りを最後まで隠して晩餐に臨んでいたというように世間的には見られているが、この後12使徒は逃げ去って隠れており、それは密かな裏切りに該当する。
いわばユダも12使徒も程度の差はあれ、裏切っていた。

ユダのイエスへの接吻は、ローマ兵の前で誰がイエスかを示すためとされているが、ドラマのスタートの合図であり、イエスとの永遠の別れの哀惜だったと思う。

このシナリオの本来の企画者は、神だったのだろうが、ユダは、北欧神話のロキのようには見えないが、その企画の慎重にして大胆な遂行者であったのではないか。

イエスの信奉者や、磔刑の目撃者たちが、この一連の悲劇を思い起してみると、この一連の出来事の肝心なポイントでタクトを振っていたのがユダであることに思い当たったということのように思う。

それは、釈迦入滅時に、最後は四禅からニルヴァーナに入ったと見た人間がいるのと同じである。これを見れるような人間だけが、この歴史上の大事件を、その後2000年にわたり欧州を牛耳ってきた宗教の始まりを起こすことができたのだと思う。

イエスの開悟は、十字架上においてであり、十二使徒はそこで殉教する覚悟もできていなかったと世間的には見られている。

イエスは、過越の祭りの三日前に殺害された。過越の祭りは、春分の日の後の最初の満月の日。イースター復活祭は、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日。

そうしたサイド・ストーリーは、ユダ一人にイエスの死の責任を転嫁しやすい材料ではあるが、ここは大きな流れで見たほうが良いのではないかと思う。

イエスは、ユダの偶然のでき心で死に追いやられたという解釈は。やや安直なのではないかと思う。

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