◎方法と立ち位置
人間が神にアプローチするには、三つの方法がある。神に出会う、神と一体になる、神を降ろす、である。
これに対して人間の立ち位置は、7種であり、7つのボディがそれに該当する。
ところが、学校で7つのボディを教えるならば、いきなり「人間には七つのボディがあります」から初めても詮無いことになる。
何しろ人間が七つのボディすべてを認識するのは、七番目のニルヴァーナを目前にして後ろを振り返ったら、6つのボディがあったみたいな具合だから。つまり何百回か、何万回かの輪廻転生の最終ステージ近くで七つのボディすべてがそろうことになるのであれば、七つのボディに何の意味があろうと考える利巧な人は少なくないからである。
それでも七つのボディ論が重要なのは、現代人は理屈で納得しないと行動に移らない、つまり理論づけがないと冥想をしないだろうからであり、かつまた人間にとって愛・大慈悲、智慧、自由、力など真実であるもの、永遠に壊れないものはそこにしかないからである。
ここで手法が示され、立ち位置が明らかになった。
次に問題になるのは、七つのボディそれぞれの次元で神に至ることが可能かということになる。
人間が神にアプローチするには、三つの方法がある。神に出会う、神と一体になる、神を降ろす、である。
これに対して人間の立ち位置は、7種であり、7つのボディがそれに該当する。
ところが、学校で7つのボディを教えるならば、いきなり「人間には七つのボディがあります」から初めても詮無いことになる。
何しろ人間が七つのボディすべてを認識するのは、七番目のニルヴァーナを目前にして後ろを振り返ったら、6つのボディがあったみたいな具合だから。つまり何百回か、何万回かの輪廻転生の最終ステージ近くで七つのボディすべてがそろうことになるのであれば、七つのボディに何の意味があろうと考える利巧な人は少なくないからである。
それでも七つのボディ論が重要なのは、現代人は理屈で納得しないと行動に移らない、つまり理論づけがないと冥想をしないだろうからであり、かつまた人間にとって愛・大慈悲、智慧、自由、力など真実であるもの、永遠に壊れないものはそこにしかないからである。
ここで手法が示され、立ち位置が明らかになった。
次に問題になるのは、七つのボディそれぞれの次元で神に至ることが可能かということになる。