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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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アートマンとブラフマンの違い-1

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◎神と悪魔の悟境の差

以下のウパニシャッドの話は、輪廻という言葉は出て来ないが、自意識の本質に直接切り込んでいる。つまり、個からアートマンである全体が意識されている。


創造主プラジャー・パティが「アートマンを見出して認識する者は一切の世界を得て、すべての欲望を満足させる」と唱えたのを聞いて、神々代表としてインドラが、悪魔代表としてヴィローチャナが、アートマンを認識するべく、創造主プラジャー・パティの下で32年間修行した。

創造主プラジャー・パティは、眼の中に見られる自己(プルシャ)がアートマンであるという説明を行い、悪魔代表のヴィローチャナと神々代表のインドラに、水盤に映る自分の姿を確認させ、「それがアートマンである。それは不死であり、無畏である。それはブラフマンである。」と説明した。 すると両名とも心から満足して立ち去った。

これを見てプラジャー・パティは、「彼らはアートマンを理解せず、見出すこともできずに立ち去った。神々にせよ、悪魔どもにせよこのようなことを秘儀として守る者は必ず滅びよう。」と評した。

ヴィローチャナは、(アートマンを自分の肉体のことだと思い、)「この世においては、アートマンをこそ悦ばすべきであり、アートマンに我々は奉仕すべきである。この世においてはアートマンを悦ばし、アートマンに奉仕してこそ、この世界とあの世界の両者を得るのだ」と語った。(中略)これは悪魔どもの秘儀である。

さてインドラは帰り道で、不具になったり、肉体がなくなったら、その理屈が通用しないことに気づき、またプラジャー・パティの許に立ち戻って修行を続けた。

プラジャー・パティは次のような説明を与えた。
夢の中で祝福された者のように歩き回る者、それがアートマンである。それは不死であり、無畏である。それはブラフマンである。」
インドラは、一旦はこれに納得したが、夢の中の肉体でも不快を感ずることがあるため、納得できないで、プラジャー・パティのもとで再び修行を続けた。

プラジャー・パティは次のような説明を与えた。「人が眠り込んで自己に没入し、完全な心の平静を得て、夢を見ない場合、それがアートマンである。それは不死であり、無畏である。それはブラフマンである。」(この言葉は20世紀の聖者ラマナ・マハリシがよく語った言葉である。)
インドラは、一旦はこれに納得したが、眠っている人は自分を認識しないので、まして一切の存在を認識することはないとして、納得せずにまた師のもとに戻って行った。
(ケン・ウィルバーは、ここの文を、睡眠中の意識の連続だと考え、それを実践している。)

さてプラジャー・パティはどのような教えで最後を締めくくろうとするのだろうか。
(参考:世界古典文学全集/ヴェーダ・アヴェスター/チャンドーグヤ・ウパニシャッド)

◎エクスタシス 夢の夢なる-44
◎現代文明あるいは現代人のウィークポイント-33
◎輪廻の主体-3


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