全生涯のパノラマ的回顧と輪廻
◎死後の審判以後の謎 少なくとも中有まではマンツーマン輪廻でないと理解しがたい仔細もある。それが、全生涯のパノラマ的回顧である。 チベット死者の書は、死に行く人向けの書であるせいか、いかにもマンツーマン輪廻っぽく書いてある。...
View Articleエジプト神話のトート
◎地獄行きの人には輪廻転生がない エジプト神話で伝えられるトートの伝承は以下のようなものである。 『オシリスについで崇められる神にトート(Thot)がある。トートは知恵の神で、下界の法廷では、オシリスの傍らに立って、人間の心の目方を計る秤を眺めながら、手に神と筆をもって控えている。 この理由からトートは神の書記と呼ばれている。この神の像は鶴の首をもった人間の姿に書かれている。...
View Article輪廻と自意識
◎生者の自意識、生死をまたぐ自意識 輪廻の主体と同一個性による輪廻転生の始点と終点はどこかという論点については、まず自意識とは何かという視点を逃すことはできない。自意識は輪廻転生しても維持承継されるのかという疑問である。 そして自意識の過去形である記憶はどこに保持されていくのか、誰に保持されていくのかという疑問も付随的な疑問として浮かび上がっていく。...
View Article意識の連続考-1
◎生きている者の意識の連続 起きている時の意識は、実は睡眠時も連続して自意識として活動しているという事実は、インド系の覚者によりしばしば指摘されている。...
View Article意識の連続考-2
◎死をまたいだ意識の連続 さて生者の意識は死んでも連続するという、死をまたいだ意識の連続の方はどうだろうか。これはチベット密教の最も得意とするところではある。...
View Article列子の輪廻転生
◎死の暫往なること 輪廻転生とは、生と死のタッチ アンド リターン。 自分も含めてほとんどの人は、輪廻転生を考え始めるのは、みじめで情けない自分からスタートするのだろうと思う。 だがここでは、輪廻の主体を見るのに、支那の霊界物語と言われる列子から始める。 列子の楊朱篇に輪廻転生を語る部分がある。 『太古の人は、生の暫来なることを知り、死の暫往なることを知る。』...
View Articleウパニシャッドの輪廻転生
◎説明をはぐらかす 古代インドのカタ・ウパシャッドでは、子供のナチケータスは、父親によってその身を死神ヤマに布施として与えられようとしていた。 ナチケータスは、自分たちを死神の家の前で3日も待たせた償い(三つの恩典)として、死後のメカニズムについて説明してくれるように、死神ヤマに求めた。...
View Articleアートマンとブラフマンの違い-1
◎神と悪魔の悟境の差 以下のウパニシャッドの話は、輪廻という言葉は出て来ないが、自意識の本質に直接切り込んでいる。つまり、個からアートマンである全体が意識されている。...
View Articleアートマンとブラフマンの違い-2
◎最高の光明 インドラの師匠プラジャー・パティは次のように語る。 『この肉身は死すべきものであり、死に捉えられている。しかし、それはこの不死で肉身のないアートマンの住処である。肉身を具えた者は実に好悪の二者によって捉えられている。肉身を具えている以上、好悪の二者を絶滅することは不可能である。しかし肉身のない者には、好悪の二者も触れることはない。...
View Article一切の世界を得て、すべての欲望を満足させる
◎開運グッズから 前段の『アートマンとブラフマンの違い1,2』に出てくる『一切の世界を得て、すべての欲望を満足させる』とは、開運の極みであり、人間の欲望の終着点である。 寺社のお札やお守り売り場に行ってみよう。開運グッズは花盛りである。 家内安全 商売繁盛 良縁成就 交通安全 厄除け 病気平癒 学業成就 旅行安全 心願成就 工事安全 海上安全 社内安全 合格 必勝 安産 武運長久 恭喜発財...
View Article釈迦の輪廻の見方
◎人間の帰趨は行為である OSHOバグワンは、自分の輪廻転生の見方は釈迦と同じだと言った。 原始仏典では、マンツーマン輪廻説についてどう見ているのだろうか。 『第五節 生まれさせるものを(1) 〔神いわく、――――〕 「何が人を生まれさせるのか? 人の何ものが走り廻るのか? 何ものが輪廻に堕しているのであるか? 人にとって大きな恐怖とは何であるか?」 〔尊師いわく――――〕...
View Article輪廻転生と心とカルマと
◎ヨーガ・スートラの輪廻 輪廻転生と心とカルマとは、密接に連関しており、パタンジャリのヨーガ・スートラの第四章カイヴァリヤにおいてそれが端的に示されている。 パタンジャリのヨーガ・スートラの第四章カイヴァリヤについて、どの本の訳もしっくりこないので、自分で訳してみる。 『4・1 シッディは、生まれつき、あるいは薬物、マントラ念唱、あるいは苦行、あるいは三昧(サマディー)によってもたらされる。』...
View Articleルドルフ・シュタイナーの見た輪廻転生
◎人格化されたカルマ 釈迦は、行為は人の帰趨であり、妄執が人を転生させるとする。カルマが人を転生させるのだと見た。 20世紀初めのルドルフ・シュタイナーは、メンタル体を確認することはできなかったようだが、カルマと転生について、以下のように述べる。...
View Articleマンツーマン輪廻から一対多へ
◎一から全体へ、そして多へ 何が輪廻転生するのかという疑問に対して、それはカルマであるというのが、ほぼ結論である。いわゆる魂というボディが輪廻転生の主体であろうというのは、肉体人間の生活実感がそのように想像させるのだろうが、先駆者たちは、誰一人それを肯定していない。ボディという乗り物が輪廻するのではないのだ。 よってマンツーマン輪廻というのは、いわば肉体人間の想像の産物に過ぎないのだろうと思う。...
View Articleダライ・ラマの輪廻の見方
◎複数の輪廻が同時に可能 ダライ・ラマの輪廻の見方。これは現代の人らしく、もっと直接的な表現でもって輪廻転生を説明してくれている、ダライ・ラマの輪廻転生説も、マンツーマン転生、つまり一対一オンリーの転生観ではない。 ここで彼は一対多の輪廻転生を開陳しているが、それですらも、人間個人の生き方はどうあるべきかを考える上で、大いに当惑させられる見方である。...
View ArticleOSHOバグワンの輪廻転生-1
◎マンツーマン輪廻説の否定 輪廻転生の見方について、ここでは、OSHOバグワンのそれと、ダンテス・ダイジのそれを挙げる。両者の説は非常に似通っており、私の見るところ、その説明こそが現代人にとって妥当と思われる。...
View ArticleOSHOバグワンの輪廻転生-2
◎あなたはどこかで死んでから今生に出現した OSHOバグワンの輪廻転生説の続き。 以下の引用文は、自我の死をもって、ブラフマンたる第六身体が誕生することを云う。個である肉体の自分が死ぬことは、アストラル体などの個的媒体が死ぬことでもあり、第五身体たる個が死ぬことでもあるとする。...
View Articleダンテス・ダイジの死と転生-1
◎霊が存続するメカニズム 以下はダンテス・ダイジが、死と転生のメカニズムを端的に語っているある座談。 一本の木とは世界樹のことで、あらゆる世界が一つながりになったアートマンである。この樹に葉っぱとしてAさんが生まれる。そして葉は秋になると死んで散るが、その時にその葉は宇宙意識なるアートマンに帰って行く。 チベット死者の書で、人は死ぬとすぐに原初の光を見るというがそれがこの部分に当たる。...
View Articleダンテス・ダイジの死と転生-2
◎死と転生のメカニズム ここで質問者は、一つの個なる霊魂が死ぬと霊界に渡り、再生して現世に戻り、また死ぬと霊界に戻るみたいな通俗的輪廻転生観を想定しているのだが、ダンテス・ダイジは、そんな社会的通念みたいなものすらおかまいなしに、そのものズバリで、人間の輪廻転生のメカニズムを明かしていく。だから一見質問と回答はかみ合っていないように見えるが、実はパーフェクトに回答は尽くされている。...
View ArticleOSHOバグワンの輪廻とインド
◎今生である葉と来世の葉 ここでは、個から全体へ、そして全体から別の個へという見方の一つの敷衍を語る。 OSHOバグワンは、インドでは、輪廻転生が宗教家の布教の方便として使われてきたと見る。 曰く、ヒンドゥー教徒は神と魂を信じている、ジャイナ教とは神を信じず魂だけを信じている、仏教徒は、神も魂も信じていない。けれども三教徒とも輪廻は信じる。...
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