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輪廻転生と心とカルマと

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◎ヨーガ・スートラの輪廻

輪廻転生と心とカルマとは、密接に連関しており、パタンジャリのヨーガ・スートラの第四章カイヴァリヤにおいてそれが端的に示されている。

パタンジャリのヨーガ・スートラの第四章カイヴァリヤについて、どの本の訳もしっくりこないので、自分で訳してみる。
『4・1
シッディは、生まれつき、あるいは薬物、マントラ念唱、あるいは苦行、あるいは三昧(サマディー)によってもたらされる。』

シッディは悉地で、ヨーガ・スートラの3・45に八つのシッディの例が上がっている。

(1)身体が非常に小さくなる
(2)身体が非常に大きくなる
(3)非常に軽くなる
(4)非常に重くなる
(5)どこにでも達することができる
(6)すべての望みがかなう
(7)何でも創り出すことができる
(8)何に対しても命令し、支配することができる。

要するに神通力だが、これを単純に超能力とかミスティック・パワーと見るべきではなく、この世をほとんど卒業しかけた人に出現するボーナス・ステージみたいなところという理解が良いのではないかと思う。

前世の修行(生まれつき)、薬理作用、音響(マントラ)、生理作用(苦行)、これらは部分への集中であり全体でない。三昧は全体。

つまり三昧は、ニルビカルパ、サビカルパを想定しており、半端なトランス全般のことを言っているわけではない。

『4・2
一つの人生から他の人生への変身は、エネルギーの充実によって起こる。』

エネルギー、パワーが不足している時、パワーの流出は起こらない。エネルギーが充溢して初めて変身は起こる。

道教の出神は、明らかにエネルギーの充溢なしでは起こらない。サハスラーラの開花も然り。

「一つの人生から他の人生への変身」とは、輪廻転生のことではなく、大死一番、第二の死のことである。

『4・3
偶発的な出来事は、(悟りに至る)本来の自然な流れを活性化するものではない。ただ農夫のように障害物を取り除いているにすぎない。』

この部分は、カルマによって起こってくる人生上の出来事のことが「偶発的な出来事」なのだと思う。もとよりエネルギーは、横溢しているのだから、障害物をとり除きさえすれば、人は覚醒に至るという考え方がパタンジャリには見える。

偶発的な出来事の数々とはカルマの発現であって、肉体死ですらもその一種と見れる。だが、肉体死が起こっても万人が大悟覚醒するわけではない。


『4・4
人工的に作られた心とは、エゴイズムだけに由来する心。』

現代は、マスコミの時代であって、マスコミがなければ、この時代はほとんど何も残らないとは、マスコミからの情報で9割方形成された、「人工的な心」=マインド・コントロールされた心で我々は生きているということ。

人工的な心はエゴイズムのみでできている。人工的な心だらけの世界では、物質の研究と、肉体・脳の研究に焦点が当てられすぎている。ゆえに、ITはさながらエゴイズム強化の技術であり、だからこそバーチャルリアリティーは、低次霊界だなどということが起こってくる。

一方冥想などでエゴを落とし始めると、人工的に作られた心は崩壊し始める。そこでまともに生きる方向性が出てくる。


4・5
多くの人工的に作られた心の活動は様々だが、それを通して一つのオリジナルな心がすべてを統御する。

元のオリジナルな心は、出生時にまず発現し、その次に第二の死であるサマディ=三昧の時に発現する。その二つの間は、薬物、マントラ、苦行・修行・節制で管理する。

以上のようにヨーガ・スートラでは、迷いの世界のままである輪廻転生は、ほとんど相手にしておらず、ニルビカルパ、サビカルパのサマディー(三昧)だけを人生の目的と考えている。

このようにパタンジャリのヨーガ・スートラでは、現状が未悟であって、目標は大悟という立場が明確。
だから輪廻転生の主体とは何かという一見高尚な関心ですら、世俗の興味の一つにすぎないというレベルであることが感じ取られるのだ。

◎エクスタシス 夢の夢なる-48
◎現代文明あるいは現代人のウィークポイント-37
◎輪廻の主体-7


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