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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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金と食料を奪い合う、分かち合う

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◎巨富と貧困者

全世界の食糧生産が、70億人を優に養うに足りる量があり、日々余剰食糧は、家畜の飼料や自動車燃料のアルコールに転用されたり、廃棄されていることは知られている。

金もそうだ。金は日々相場が変わるものの、立って半畳寝て一畳の人間一人が生命を維持していくのに必要な金は、月〇万円もあれば十分である。

こうした中で一人で資産数百億円とか数兆円を抱える個人がいて、なおかつ彼らは更にそれを増やそうと目論んだり、その資産の多いことを世間やマスコミが称賛したりそねんだりするのは奇怪なことである。

人一人が天から与えられた食糧も衣食住も財産も一生分には限度がある。病人が食べられなくなってきたら、一生分の食が尽きかけてきたので終わりが近いなどと言うではないか。

人間のアスペクトは、公生活と私生活という区分、あるいは物質部分と精神部分、あるいは肉体と微細身などという区分があるが、金も食料も片方の面に過ぎない。

足ることを知るとは、今ここということだが、神を知りつつ公的生活もこなし私生活も充実させるということ。

イエスも釈迦も私財をほとんど持たず、わずかの私物は弟子たちへの形見となって消えてしまった。資産家の神人などいない。

ビジネスの風潮は、常にB/S、P/Lであり、その拡大する運命から逃れられないが、内に神を住まわせれば、別の視点があり得る。例えば貧困者をこれ以上増やさないという発想である。一握りの人間が資産を巨大化させるということは多数の貧困者を発生することであって、悪であるという発想である。

今の社会通念、社会体制からすればそれは現実性のない夢想にすぎないように思われるが、時代が要求してきているのはそこなのである。

巨富を許す以上は、金と食料の奪い合いを是とするしかない。ここに地獄的な争闘が拡大再生産されている。

人はあの世に積み上げた巨富を持っていくことはできないのだ。

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