◎トールが、角杯で一気飲みにトライ
クンダリーニのクンダとは、池全体のことだが、クンダリーニ・ヨーガで一般的に見られるクンダリーニ覚醒、上昇のプロセスの他に、クンダ自体の中に没入する道があるという。
OSHOバグワンによれば、その場合、超感覚的体験もなく魂の体験さえも完全に逸する。そのケースでは人は直接神に遭遇し体験する
この道はごくごく少数の人だけが辿る道であって、彼らは神のみがあって、一なるものだけが存在すると語る。
そのクンダのエネルギーは汲めども汲めども尽きることのない無限である。
(出所:奇跡の探求Ⅰ/和尚/市出版社P353-354)
この体験の仕方は、身心脱落のようだが、相違があるのだろうか。
北欧神話で、英雄神トールが、角杯で一気に酒を飲み干すことができるかどうか試されるシーンがあるが、その角杯の底は海につながっていて、少々しか飲み干せなかったという逸話がある。
このシーンはクンダの池のことであって、そうした場面に自分が立ち至って初めて何のことかわかるということなのだろうと思う。
クンダリーニのクンダとは、池全体のことだが、クンダリーニ・ヨーガで一般的に見られるクンダリーニ覚醒、上昇のプロセスの他に、クンダ自体の中に没入する道があるという。
OSHOバグワンによれば、その場合、超感覚的体験もなく魂の体験さえも完全に逸する。そのケースでは人は直接神に遭遇し体験する
この道はごくごく少数の人だけが辿る道であって、彼らは神のみがあって、一なるものだけが存在すると語る。
そのクンダのエネルギーは汲めども汲めども尽きることのない無限である。
(出所:奇跡の探求Ⅰ/和尚/市出版社P353-354)
この体験の仕方は、身心脱落のようだが、相違があるのだろうか。
北欧神話で、英雄神トールが、角杯で一気に酒を飲み干すことができるかどうか試されるシーンがあるが、その角杯の底は海につながっていて、少々しか飲み干せなかったという逸話がある。
このシーンはクンダの池のことであって、そうした場面に自分が立ち至って初めて何のことかわかるということなのだろうと思う。