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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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冥想の4か条-4

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◎そもそもの最初から備わっているような何か

OSHOバグワンの冥想の4か条の続き。

『第四番は深刻さだ。瞑想について考えたり話したりする人々は、瞑想を深刻なものと受け取っている。彼らは、それを仕事のようなものとして受けとめており、遊びのようなものとしては受けとめていない。だが、もし瞑想を深刻なものとして受けとめるなら、瞑想が起こるような状況は創り出せない。深刻さとは緊張だ。そして緊張した心は、決して瞑想の中には存在できない。

瞑想をゲームとして、子供がやるようなゲームとして受けとめなくてはならない。瞑想する人々は、遊び心に満ちているべきだ。すなわち存在との戯れ、生との戯れ―――無重力で緊張のない心、何かをやっている気分ではなく、リラックスしている気分でなされるべきだ。リラックスした瞬間、遊び心に満ちた瞬間にのみ、そのハプニングは可能だ。

深刻な人は宗教的にはなりえない。すべての宗教家たちは、あれほどまでに深刻だ!まるで病的で、憂鬱な顔をしている人々だけが、宗教的であるかのようだ。だが瞑想とは、しなければならないような重大な何かではない。

それは、絶対的に無目的な何かだ。つまるところ、そもそもの最初から備わっているような何かだ。達成されるべき何かがあるわけでも、何かを通らねばならないようなものでもない。それは意味づけできないものだ。』
(グレート・チャレンジ/和尚/市民出版社P18-19から引用)

何のために坐るのか。

七日間押し詰めて坐れば、悟りが開けるかもしれない。

先師が死去したので、慌てて千日間坐ったら、覚醒するかもしれない。

一生をかけて周天を積み上げ、頭頂上に出神を出そうとしたが、今生ではちょこっとしか出なかったかもしれない。

一生をかけて毎日念入りに呼吸法を繰り返し、柔軟系のハタ・ヨーガを繰り返し、ボディの浄化を進めたが、その生ではクリア・ヨーガに進めなかったかもしれない。

毎日自分の呼吸を見つめるヴィパッサナーをやっていたが、発狂しちまって、何年か何十年か、戻って来なかったかもしれない。

皆真剣に我が人生をかけて坐っている。現代人に必要なのは、深刻さ、本気度の方であって、一旦たがを緩めればあらゆるマインド・コントロールの罠にからめとられる。テレビ、スマホ、モバゲー等々。

ここで言うリラックスとは、連続的な緊張、努力の先にある、とあるリラックスのことだと心得たい。

まずは、本気が先だと思う。現代は、本気でやらない時代、深刻なことを我がことと考えない時代。

このOSHOバグワンの4つめの条件は、大いに人を誤らせる。クリシュナムルティは、おちゃらけたところはほとんどなかった。

遊戯、戯れを言えるのは、神を知り、
耳で見て目できき、鼻で食べて、口で嗅ぐような連中だけだ。


耳も目も口鼻もきき手足きき 頭も腹もきくぞ八ツ耳
出口王仁三郎

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