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宮廷の諍い女:内的テンションの高さ

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◎禅問答の土壌が生きている

宮廷の諍い女の小エピソードのそれぞれが、理不尽の連続である。嫉妬されるのも理不尽だし、追い落としの陰謀を仕掛けられるのも理不尽。しかし後宮ではその理不尽が日常的に繰り返される。

BSフジの華流ドラマでは、前作の「孫子≪兵法≫大伝」も理不尽に次ぐ理不尽な小イベントのてんこ盛りであり、中国人はこの理不尽の連続に感情を激しく移入するのだなと思った。中国人がすぐ激高して大声になるのも、理不尽の日常的発生による、内的緊張感の高さがあるためなのだろう。

内的緊張感の高さは、禅問答の土壌でもあり、宮廷の諍い女の主人公甄嬛(しん・けい)が、皇后に協力するかどうかを問われ、香炉に水をかけて火を消して協力すると答えるシーンがあったが、それは禅問答そのものだった。
仏教云々ということでなく、他のものに仮託して他人の真意を問うやり方が根付いていることに、これが中国なのだと感じ入った。禅問答の土壌が後宮のような知識層には残っているのだろう。

また禅問答の字面そのものも理不尽と言えば理不尽である。

理不尽があまりに連続するというのは、生きていくことが大変であるということである。そういう日常では、なかなか冥想は育たない。冥想が旦那衆の道楽と言われる所以である。

日本では、江戸時代白隠が隻手の公案でもって多数の見性者を打ち出したが、日本では白隠独特の経歴と個性によってこれが成し遂げられたという側面が強いのかもしれない。

日本の日常は、現代中国のように思想信教の自由もなく、国政選挙もなく、役人を中心に汚職腐敗が満ち満ちている世界ではない。

そんな中国では理不尽そのものに直面させる手段として禅問答が唐代から盛んになって、多くの覚者を輩出させることになった。よって禅問答というのは、日本の日常は、中国にいるほど内的緊張を強いられるものではないがゆえに、日本での禅問答は中国におけるほど有効ではないのかもしれないと思った。







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