◎それを仮にニルヴァーナと名付ける
龍樹の中論の冒頭の帰敬偈。
『滅することなく、生ずることなく、
断絶することなく、常住することなく、
一つのものがなく(あるいは、一つのものでなく) 、
種々なるものがなく(あるいは、種々なるものでなく)、
来ることなく、去ることなく、
言語的展開(ブラパンチャ)の寂滅した、
吉祥なる縁起を説いた正覚者、説法者中最も勝れたかの仏に、
わたしは礼拝する。』
(空の実践 (講談社選書メチエ ブッディスト・セオロジー)/ 立川 武蔵/講談社P31から引用)
言葉でも語れない、来ることなく、去ることなく、滅することなく、生ずることもないもの、それを仮にニルヴァーナと名付ける。
非二元とネーミングするのは、簡単だが、何もかもなしということを想像し、観想するだけではだめで、哲学するだけでは届かず、自ら吉祥なる縁起となりきることができるかどうか、それを実体験することが胆なのだと思う。
実体験できるとも書いていないが、師がそれを生きていれば、自ずと目指すところはそれになると思う。
今ここは実体験してなんぼ。
龍樹の中論の冒頭の帰敬偈。
『滅することなく、生ずることなく、
断絶することなく、常住することなく、
一つのものがなく(あるいは、一つのものでなく) 、
種々なるものがなく(あるいは、種々なるものでなく)、
来ることなく、去ることなく、
言語的展開(ブラパンチャ)の寂滅した、
吉祥なる縁起を説いた正覚者、説法者中最も勝れたかの仏に、
わたしは礼拝する。』
(空の実践 (講談社選書メチエ ブッディスト・セオロジー)/ 立川 武蔵/講談社P31から引用)
言葉でも語れない、来ることなく、去ることなく、滅することなく、生ずることもないもの、それを仮にニルヴァーナと名付ける。
非二元とネーミングするのは、簡単だが、何もかもなしということを想像し、観想するだけではだめで、哲学するだけでは届かず、自ら吉祥なる縁起となりきることができるかどうか、それを実体験することが胆なのだと思う。
実体験できるとも書いていないが、師がそれを生きていれば、自ずと目指すところはそれになると思う。
今ここは実体験してなんぼ。