◎シンクロニシティとトータル・コントロール
出羽三山は、羽黒山、月山、湯殿山。いずれも修験の修行で有名な山であって、冬季は月山、湯殿山が、積雪のため閉山となる。
湯殿山は、いわゆる「語られぬ湯殿」がありがたい。
人は、食べられて孤独でなければ、何十年でも何百年でも同じ生活パターンを繰り返すものだというが、それに飽き足らぬ思いがある一定の閾値を越えたときに求道に向かうのだろう。
奥の細道で、芭蕉の出羽三山の句。
涼しさやほの三日月の羽黒山
雲の峰幾つ崩れて月の山
語られぬ湯殿にぬらす袂(たもと)かな
三日月は白い実相の片鱗、背景に羽黒のマーヤの森の闇のコントラスト。
雲の峰なる転変する現象が崩れて正体である月輪を望む。
真理は言葉で語られぬので「語られぬ湯殿」、袂はマーヤ。
芭蕉の句は、その句でもってその時点でのあらゆる現象のうつろいをシンクロニシティとして映し出す。そしてその句は、個を超えて過去も未来も現在も含む今ここしかない今ここを、自然に力みなくトータル・コントロールしている。
出羽三山は、羽黒山、月山、湯殿山。いずれも修験の修行で有名な山であって、冬季は月山、湯殿山が、積雪のため閉山となる。
湯殿山は、いわゆる「語られぬ湯殿」がありがたい。
人は、食べられて孤独でなければ、何十年でも何百年でも同じ生活パターンを繰り返すものだというが、それに飽き足らぬ思いがある一定の閾値を越えたときに求道に向かうのだろう。
奥の細道で、芭蕉の出羽三山の句。
涼しさやほの三日月の羽黒山
雲の峰幾つ崩れて月の山
語られぬ湯殿にぬらす袂(たもと)かな
三日月は白い実相の片鱗、背景に羽黒のマーヤの森の闇のコントラスト。
雲の峰なる転変する現象が崩れて正体である月輪を望む。
真理は言葉で語られぬので「語られぬ湯殿」、袂はマーヤ。
芭蕉の句は、その句でもってその時点でのあらゆる現象のうつろいをシンクロニシティとして映し出す。そしてその句は、個を超えて過去も未来も現在も含む今ここしかない今ここを、自然に力みなくトータル・コントロールしている。