◎美女の強制連行千五百年
韓流ドラマといえば、貢女がつきもの。中国への貢物として、5世紀頃から始まり、
15世紀の太宗の時代以降に盛んになった。
李氏朝鮮の太宗の時代には、最初は、孤児や捨て子を差し出したのだが、明国の使臣が、みすぼらしい女ばかり差し出して明国をバカにしているのかと激怒したので、あわてて貢女集めをやり直し、身寄りがあろうがなかろうが国中の美女を集め始めたという。
その数は一説には年間3千人。
太宗の時代に、処女を隠した者、針灸を実施した者、髪を切ったり、顔に劇薬を塗った者など、貢女集めを逃れようとした者は厳罰とされていたという。民衆の側は、更に女が生まれたことを隠したり、出家させたり、障害者を装ったりと工夫した由。
日本でも好色な領主が美女さらいをやるので顔を黒い布で隠した(はんこたんな)などという話はあるが、朝鮮の貢女狩に比べればかわいいものだ。
苛政は虎よりも怖い。最低限の家庭生活を楽しむ余裕すら与えられないと、社会全体が歪むものだと思う。
李氏朝鮮は、江戸時代に並ぶ安定した時代かと思いきや、庶民にとっては恐ろしい時代だったようだ。この辺の被圧政感は、日本人には肌感覚としてわからない。
韓流ドラマといえば、貢女がつきもの。中国への貢物として、5世紀頃から始まり、
15世紀の太宗の時代以降に盛んになった。
李氏朝鮮の太宗の時代には、最初は、孤児や捨て子を差し出したのだが、明国の使臣が、みすぼらしい女ばかり差し出して明国をバカにしているのかと激怒したので、あわてて貢女集めをやり直し、身寄りがあろうがなかろうが国中の美女を集め始めたという。
その数は一説には年間3千人。
太宗の時代に、処女を隠した者、針灸を実施した者、髪を切ったり、顔に劇薬を塗った者など、貢女集めを逃れようとした者は厳罰とされていたという。民衆の側は、更に女が生まれたことを隠したり、出家させたり、障害者を装ったりと工夫した由。
日本でも好色な領主が美女さらいをやるので顔を黒い布で隠した(はんこたんな)などという話はあるが、朝鮮の貢女狩に比べればかわいいものだ。
苛政は虎よりも怖い。最低限の家庭生活を楽しむ余裕すら与えられないと、社会全体が歪むものだと思う。
李氏朝鮮は、江戸時代に並ぶ安定した時代かと思いきや、庶民にとっては恐ろしい時代だったようだ。この辺の被圧政感は、日本人には肌感覚としてわからない。