◎貧しく無欲な老翁、老嫗の物語
キリスト教の黄金伝説は、超能力、奇跡のオンパレードで、かつ聖人が主人公なので、謙虚で控えめな日本人にとっては面映ゆいところがある。
笠地蔵は、舞台は雪降る年の瀬の寒村。お爺さんが作りためた笠を町に行商に行く。人出は多いのに笠は大して売れず、売れ残った笠を背負って、吹雪の中をお爺さんは帰り道を急いでいると、吹雪に頭から雪まみれになった七体のお地蔵様のところを通りかかった。
お地蔵様も寒かろうとて、お爺さんは、笠をお地蔵様にかぶせ、笠が足りなかったので、自分の笠もお地蔵様にかぶせ、最後のお地蔵様には自分の手ぬぐいをかけて差し上げた。
帰宅してお婆さんにその仔細を話すと「それは善いことをされました」と喜んでくれた。
その夜更け、雪の中、家の外で何かどさっと重い物が落ちた音がする。
老夫婦が戸を開けてみると、外には、米俵や餅、野菜・魚に小判などが山と積まれていた。彼らは、これで良い正月を迎えることができた。
主人公は、年越しに餅もないような貧しい老夫婦で、雪で吹雪いている中を一日行商して帰る。できる善行も大したことはないがそれでも、お地蔵様に情けをかけても見返りがあるわけではないと知りつつ、自分の笠や手ぬぐいを渡す。
雪はしんしんと降るが、餅もない貧しい正月が身の丈ではあると、無事であることのみに感謝しつつ年を越そうとしている。
するとまったく期待していなかったのに奇瑞が起きてしまう。
清貧という言葉は、キリスト教で頻繁に用いられるが、素の日本人の心情というのは、この老翁、老嫗の姿なのだと思う。聖者も奇蹟への期待もなく、無心、無欲。
これは、カルマ・ヨーガの教科書のようなものだ。
キリスト教の黄金伝説は、超能力、奇跡のオンパレードで、かつ聖人が主人公なので、謙虚で控えめな日本人にとっては面映ゆいところがある。
笠地蔵は、舞台は雪降る年の瀬の寒村。お爺さんが作りためた笠を町に行商に行く。人出は多いのに笠は大して売れず、売れ残った笠を背負って、吹雪の中をお爺さんは帰り道を急いでいると、吹雪に頭から雪まみれになった七体のお地蔵様のところを通りかかった。
お地蔵様も寒かろうとて、お爺さんは、笠をお地蔵様にかぶせ、笠が足りなかったので、自分の笠もお地蔵様にかぶせ、最後のお地蔵様には自分の手ぬぐいをかけて差し上げた。
帰宅してお婆さんにその仔細を話すと「それは善いことをされました」と喜んでくれた。
その夜更け、雪の中、家の外で何かどさっと重い物が落ちた音がする。
老夫婦が戸を開けてみると、外には、米俵や餅、野菜・魚に小判などが山と積まれていた。彼らは、これで良い正月を迎えることができた。
主人公は、年越しに餅もないような貧しい老夫婦で、雪で吹雪いている中を一日行商して帰る。できる善行も大したことはないがそれでも、お地蔵様に情けをかけても見返りがあるわけではないと知りつつ、自分の笠や手ぬぐいを渡す。
雪はしんしんと降るが、餅もない貧しい正月が身の丈ではあると、無事であることのみに感謝しつつ年を越そうとしている。
するとまったく期待していなかったのに奇瑞が起きてしまう。
清貧という言葉は、キリスト教で頻繁に用いられるが、素の日本人の心情というのは、この老翁、老嫗の姿なのだと思う。聖者も奇蹟への期待もなく、無心、無欲。
これは、カルマ・ヨーガの教科書のようなものだ。