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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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上泉伊勢守と禅僧

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◎誘拐事件と上泉伊勢守

戦国時代の剣の達人上泉伊勢守は、神陰流の創始者である。

上泉伊勢守は、一日、武者修行にあって、山々に囲まれた小さな村を通りかかった。

するとその村では、荒くれ男が、村の子供をさらって一軒家に立てこもって、「自分に怪我をさせたり、自分を捕まえようとするならば、その子供を殺してしまうぞ」と脅迫し、村じゅうの騒ぎになっていた。

この状況を理解した上泉伊勢守は、たまたま一人の旅の禅僧が通りかかるのを見かけ、その墨染めの衣を借用したいと申し入れ、更に本物の禅僧に見えるように自分の頭を剃ってもらった。

さて上泉伊勢守は、弁当を二つ抱えて件の一軒家の方へ近づいた。
その狼藉者に、「拙者は出家の身で、貴殿をどうこうしようというつもりはない。ただ子供の親がわが子もひもじかろうとて、弁当を与えるようにと自分に頼んできた」と言って、男の前に弁当の一つを差出した。

上泉伊勢守は続けて「貴殿も空腹であろうから、もう一つ弁当を持参してきた。」

さてその男が弁当を受取ろうと片腕を延ばしたとき、剃髪僧形の伊勢守はたちまち男の利腕を取って、豪快に地面に投げ落とし、見事に生捕りにすることができた。

伊勢守は、借り受けた衣を旅の禅僧に返すと、出家はいたく彼を賞賛して、『貴殿こそ真に「剣刃上の一句を悟った人」だ』といって、禅僧の象徴である掛絡(禅僧が首から胸に掛ける小さい方形の略式袈裟のこと)を贈った。

伊勢守は、いつもこの掛絡を秘蔵して身を離さなかったが、後に一番弟子に授けたということである。

 
「剣刃上の一句を悟った人」だと認めたというのは、印可(大悟したことをオーソライズすること)したということである。印可の証拠に大事な掛絡まで上げた。

このエピソ−ドで説明が不足しているのは、なぜ上泉伊勢守がこの旅の僧を尊敬していたのかということである。相当な悟境の高僧だったのだろう。

相当な悟境を達成してもマスコミに出なければ、人の口の端に上ることもない。花は惜しまれながらも散り、雑草はうとまれながらも生えるものだ。







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