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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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アレハンドロ・ホドロフスキー監督の映画エンドレス・ポエトリー

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◎書割の前で動く人間と人間の欲望のぶつかり合い

エンドレス・ポエトリーという映画は、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の自伝的映画の第二作。

私がアレハンドロ・ホドロフスキーの名を知ったのは、『タロットの宇宙/アレハンドロ・ホドロフスキー/国書刊行会』という著作によって。タロットという78枚の曼荼羅から覗き込む宇宙が結構いい線を行っていることに驚かされたからである。

彼は、1929年チリの田舎町トコピジャでロシア系ユダヤ人の子として生まれ、祖父らが同じ町に住んでいたことから、ポグロムなどの迫害を避けるために移住してきた一家なのだろう。
随所にユダヤ的な日常で彼が嫌っていた部分がせりふに登場していた。以前イギリスでユダヤ人の家政婦をやっていた日本人の著作を読んだことがあるのだが、その本で書くことを避けていたユダヤ人のいやな部分がほぼ推測されたのはプチ収穫。

ユダヤ人は伝統的な理財の民族。1492年以前は、欧州各地でゲットーという狭い地域に押し込められていたのだが、ディアスポラが民族的な生活習慣にも影を差していることに気がつかされた。

映画では、学究肌のイケメンのアレハンドロが、親の実業に就いて欲しいという期待を裏切って、食えない詩人として立っていく。舞台は、貧困と窃盗と暴力あふれる田舎町トコピジャから一家の転居で首都サンチアゴに移っていく。

処女の毒蛇女との失恋、矮人との性交渉など。彼の友人には男色者が多いわりに自分は男色ではなかったと強調する。

詩人として名声と有力者の知己を得たアレハンドロは、あれほど反目していた父と和解してパリに旅立っていくシーンでこの映画は終わる。

どうしてこの映画は、見たくもないもの見せたくもないものをこれほどに並べ立てるのか。それも現実というものが、薄っぺらい書割(商店街の風景など)の前で動く人間と人間の欲望のぶつかり合いであると冒頭から描いて見せて、映画全体がむきだしのインモラルの連続であるにしては、人間の生業の深さと浅薄さと不条理を見事に呈示させていると感じさせられた。

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