◎亀鶴斉寿
𨥇(しゅう)玄英は、燕国広陵の人。燕の太守劉守光に仕えて宰相にまでなっていたが、黄老の道を好み、長生不死の修行にいそしんでいた。
ある日、正陽子という道人が彼を訪ね、清浄無為にして心身を養う法と金液還丹を煉る法(内丹のこと)を授けた。
さて正陽子は彼から鶏卵10個と銭10文を借り受け、机上に10文を置きその上に鶏卵10個を重ねて、塔の形を作った。
これを見て、𨥇玄英が驚いて思わず危うい危ういと叫ぶと、正陽子は莞爾として微笑し、「今、栄耀栄華に誇っている人々の危険なことはこれの幾層倍であるか測り知ることができない。」と答え、銭で卵を砕いて、暇を告げて何処ともなく立ち去った。
玄英これを見て多いに悟るところがあったので、その夜家族を集めて酒宴を催し、貯蔵していた財宝をことごとく取り出して打ち砕いたり焼き捨てさせたりした。
翌朝早々に官を辞し、終南山の麓に小庵を造り一人そこに住んでいた。ある日代州の鳳凰山の寿寧観に赴き、壁の上に亀鶴斉寿の四字を書き写した。代州から西蜀までの数千里の間の無数の道観に同時に彼が姿を現して、その門の壁の上に件の四字を書き写した。
その後、彼は屍解に臨み、一道の白気が立ち上がると見えるやいなや一羽の鶴となって何処へか飛び去った。
この当時は宰相にでもならないと、自己実現願望の限界を見極めることができなかったが、今は万人がそれを体感できる時代ではある。
コロナで略3か月世界的に経済活動が停止したのが、地球温暖化も一休止させたのであれば、昨年秋みたいな巨大台風の襲来も一服するのかもしれない。
一方米中戦争も近く、人災、天災が相次ぐであろうことが見える時節である。
それでも現代人に求められるライフスタイルは、神仏を知って、それを生活に生かしていくということ。そこで日々冥想を。
𨥇(しゅう)玄英は、燕国広陵の人。燕の太守劉守光に仕えて宰相にまでなっていたが、黄老の道を好み、長生不死の修行にいそしんでいた。
ある日、正陽子という道人が彼を訪ね、清浄無為にして心身を養う法と金液還丹を煉る法(内丹のこと)を授けた。
さて正陽子は彼から鶏卵10個と銭10文を借り受け、机上に10文を置きその上に鶏卵10個を重ねて、塔の形を作った。
これを見て、𨥇玄英が驚いて思わず危うい危ういと叫ぶと、正陽子は莞爾として微笑し、「今、栄耀栄華に誇っている人々の危険なことはこれの幾層倍であるか測り知ることができない。」と答え、銭で卵を砕いて、暇を告げて何処ともなく立ち去った。
玄英これを見て多いに悟るところがあったので、その夜家族を集めて酒宴を催し、貯蔵していた財宝をことごとく取り出して打ち砕いたり焼き捨てさせたりした。
翌朝早々に官を辞し、終南山の麓に小庵を造り一人そこに住んでいた。ある日代州の鳳凰山の寿寧観に赴き、壁の上に亀鶴斉寿の四字を書き写した。代州から西蜀までの数千里の間の無数の道観に同時に彼が姿を現して、その門の壁の上に件の四字を書き写した。
その後、彼は屍解に臨み、一道の白気が立ち上がると見えるやいなや一羽の鶴となって何処へか飛び去った。
この当時は宰相にでもならないと、自己実現願望の限界を見極めることができなかったが、今は万人がそれを体感できる時代ではある。
コロナで略3か月世界的に経済活動が停止したのが、地球温暖化も一休止させたのであれば、昨年秋みたいな巨大台風の襲来も一服するのかもしれない。
一方米中戦争も近く、人災、天災が相次ぐであろうことが見える時節である。
それでも現代人に求められるライフスタイルは、神仏を知って、それを生活に生かしていくということ。そこで日々冥想を。