◎生還者の再び生きる姿−3
○五倫五常
出口王仁三郎は、五倫五常を戒律みたいに遵守することを真理の三階級の中ぐらいとして位置づけ、最高のレベルとはしない。神人和合を最高のものとする。
ここは、五倫五常の方向性は正しいが、それを金科玉条とすることの弊害をことさらに説いていると見るべきだろうと思う。それが固定的な目標になった瞬間に真価は失われる。真理はイデオロギーやスローガンや頑固な思い込みの先にはない。
しかし、俗人に説くならば、あえて五倫五常の方向性は正しいと言わねばならないのである。
出口王仁三郎の本領は、あくまで古神道という死の世界をクリアする道なのである
『抑もこの理性は神愛と神真の和合より来る所の円満なる情動によつて獲得し、この情動よりして真理に透徹するものである。
さて真理には三つの階級がある。しかして人間はこの三階級の真理にをらなければ、到底神人合一の境に入る事は不可能である。法律、政治の大本を過たずよく現界に処し、最善を尽し得るを称して、低級の真理に居るものと言ひ、また君臣夫婦父子兄弟朋友並に社会に対し、五倫五常の完全なる実を挙げ得る時は、これを中ほどの真理に居る者といふのである。
しかしながら如何に法律を解し政治を説き、或は五倫五常を詳細に説示し了得すると雖も、これを実践躬行し得ざる者は所謂偽善者にして、無智の賤人にも劣るものと霊界において定めらるるのである。
また愛の善と信の真に居り、大神の直接内流を受け、神と和合し、外的観念を去り、万事内的に住し得るものを称して最高の真理に居る者と云ふのである。
故に現代において聖人君子と称へられ或は智者識者と称せられ、高位高官と崇めらるる人物と雖も、最高の真理に居らざる者は、霊界においては実に賤しく醜く、且中有界または地獄界に群居せざるを得ざる者である。霊界に行つて現界に時めく智者学者または有力者といはるる者の精霊に出会し、その情況を見れば、何れも魯鈍痴呆の相を現はし、身体の動作全く不正にして四肢戦き慄ひ、少しの風にも吹き散りさうになつてゐるものである。
これ凡てが理性的ならざるが故である。現代の人間が理性的とか理智的とか、物知り顔に云つてゐるその言説やまたは博士学士等の著書を見るも、一として理性的なるものはない。何れも自然界を基礎とせる不完全なる先賢先哲と言はれたる学者の所説や教義を基礎とし、古今東西の書籍をあさり、これを記憶に存し、その記憶を基として種々の自然的知識を発育せしめたるものである。
故にただ記憶のみにして、決して理性的知識ではない。現代の総ての学者は主神大神の直接または間接の内流を受入るる事能はず、何れも地獄界より来る自愛及び世間愛に基く詐りの知識によつて薫陶されたるものなれば、彼等は霊体分離の関門を経て精霊界に至る時は、生前に於る虚偽的知識や学問の記憶は全部剥奪され、残るはただ恐怖と悲哀と暗黒とのみである。
凡て自愛より出づる学識智能は何れも暗黒面に向つてゐるが故に、神のまします天界の光明に日に夜に遠ざかりゐたれば、精霊界に入りし時は霊的及び神的生涯の準備一もなく、否却つて魯鈍無智の人間に劣ること数等である。魯鈍無智なる者は、常に朧気ながらも霊界を信じかつ恐るるが故に、驕慢の心なく、心中常に従順の徳に居りしが故に、霊界に入りし後は神の光明に浴し、神の愛を受くるものである。』
(霊界物語 第五〇巻 真善美愛 丑の巻 第一章第一篇から引用)
【ザ・ジャンプ・アウト 035】
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【アトランティス】 【現代文明】 【日本の行く末】
○五倫五常
出口王仁三郎は、五倫五常を戒律みたいに遵守することを真理の三階級の中ぐらいとして位置づけ、最高のレベルとはしない。神人和合を最高のものとする。
ここは、五倫五常の方向性は正しいが、それを金科玉条とすることの弊害をことさらに説いていると見るべきだろうと思う。それが固定的な目標になった瞬間に真価は失われる。真理はイデオロギーやスローガンや頑固な思い込みの先にはない。
しかし、俗人に説くならば、あえて五倫五常の方向性は正しいと言わねばならないのである。
出口王仁三郎の本領は、あくまで古神道という死の世界をクリアする道なのである
『抑もこの理性は神愛と神真の和合より来る所の円満なる情動によつて獲得し、この情動よりして真理に透徹するものである。
さて真理には三つの階級がある。しかして人間はこの三階級の真理にをらなければ、到底神人合一の境に入る事は不可能である。法律、政治の大本を過たずよく現界に処し、最善を尽し得るを称して、低級の真理に居るものと言ひ、また君臣夫婦父子兄弟朋友並に社会に対し、五倫五常の完全なる実を挙げ得る時は、これを中ほどの真理に居る者といふのである。
しかしながら如何に法律を解し政治を説き、或は五倫五常を詳細に説示し了得すると雖も、これを実践躬行し得ざる者は所謂偽善者にして、無智の賤人にも劣るものと霊界において定めらるるのである。
また愛の善と信の真に居り、大神の直接内流を受け、神と和合し、外的観念を去り、万事内的に住し得るものを称して最高の真理に居る者と云ふのである。
故に現代において聖人君子と称へられ或は智者識者と称せられ、高位高官と崇めらるる人物と雖も、最高の真理に居らざる者は、霊界においては実に賤しく醜く、且中有界または地獄界に群居せざるを得ざる者である。霊界に行つて現界に時めく智者学者または有力者といはるる者の精霊に出会し、その情況を見れば、何れも魯鈍痴呆の相を現はし、身体の動作全く不正にして四肢戦き慄ひ、少しの風にも吹き散りさうになつてゐるものである。
これ凡てが理性的ならざるが故である。現代の人間が理性的とか理智的とか、物知り顔に云つてゐるその言説やまたは博士学士等の著書を見るも、一として理性的なるものはない。何れも自然界を基礎とせる不完全なる先賢先哲と言はれたる学者の所説や教義を基礎とし、古今東西の書籍をあさり、これを記憶に存し、その記憶を基として種々の自然的知識を発育せしめたるものである。
故にただ記憶のみにして、決して理性的知識ではない。現代の総ての学者は主神大神の直接または間接の内流を受入るる事能はず、何れも地獄界より来る自愛及び世間愛に基く詐りの知識によつて薫陶されたるものなれば、彼等は霊体分離の関門を経て精霊界に至る時は、生前に於る虚偽的知識や学問の記憶は全部剥奪され、残るはただ恐怖と悲哀と暗黒とのみである。
凡て自愛より出づる学識智能は何れも暗黒面に向つてゐるが故に、神のまします天界の光明に日に夜に遠ざかりゐたれば、精霊界に入りし時は霊的及び神的生涯の準備一もなく、否却つて魯鈍無智の人間に劣ること数等である。魯鈍無智なる者は、常に朧気ながらも霊界を信じかつ恐るるが故に、驕慢の心なく、心中常に従順の徳に居りしが故に、霊界に入りし後は神の光明に浴し、神の愛を受くるものである。』
(霊界物語 第五〇巻 真善美愛 丑の巻 第一章第一篇から引用)
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